Japanese Message

May 2020

朝(あした)には紅顔(こうがん)あって夕(ゆうべ)には白骨となれる身なり

開教使 渡辺正憲

例年であれば、5月は親鸞聖人のご誕生をお祝いする降誕会(ごうたんえ)が勤められるはずですが、残念ながら新型コロナウィルス蔓延の影響により、お寺での一切の法要は当面中止となります。4月の花祭りも中止となり、仏教徒として、僧侶として非常に寂しく感じられます。しかし、仏教においては、世の中のすべての事象が学びであり、仏教、つまりいずれは仏になるのだという教えを忘れない限り、どんなに苦しく悲しく思えることの中にも、そこに生きることの確かな意味を見出せるのです。

お葬式の中で、浄土真宗僧侶は蓮如上人の書かれた「白骨の御文章」を拝読します。その中に出てくる一節に「朝には紅顔あって夕には白骨となれる身なり。すでに無常の風きたりぬれば、すなわちふたつのまなこたちまちにとじ…」というのがあります。「無常の風」というのは、あたかも突風が花を吹き散らすように、思いもかけない時に人の命を奪うこの世のはかなさを象徴した言葉です。ふだんなかなかそれが私たちの生きている世界の真実であるという実感がわかないと思いますが、このたびのコロナウィルスの猛威をまのあたりにして、そして、現時点でほとんどなすすべがない人間の姿を見るにつけ、ここはいつでも「無常の風」にさらされている世界なのだということが真に迫って感じられるのではないでしょうか。諺に「順境の時には楽しめ、逆境の時には考えよ」というのがあります。私は、今こそ仏教徒として仏法をよりどころとし、真剣に「考える」時なのではないかと思います。

私達浄土真宗者にとっての信仰は、『浄土三部経』にもとづきます。その中でも、親鸞聖人が「真実の教え」と説かれた『仏説無量寿経』について書いてみたいと思います。

法蔵菩薩が48の誓いを立てて、偉大なる仏となるために五劫(こう)という計り知れない時間を一瞬たりとも気を抜かずに、一切の汚れのない心で修行に励まれました。それはひとえに全ての生きとし生けるもの(一切衆生)をその迷いや苦しみから救う為であり、自ら課した厳しい修行の果てについに仏となり、それを成就する力を得ることができました。お釈迦さまは、『仏説無量寿経』の中で、法蔵菩薩が阿弥陀仏となられてからすでに十劫の時間がたっていると説かれました。一劫とは、16㎞四方の大きな岩を3年(一説には100年)に一度天から天女が下りてきて、衣で一回だけ撫ぜてそれが完全になくなるほどの長い時間を表します。つまり、私たちには想像もできないような長い時間を修行して阿弥陀仏は誕生したのであり、その2倍もの時間の間、その偉大なる仏は過去・現在・未来の全ての衆生を救おうと、働き続けているというのです。上巻にはその顛末(てんまつ)が描かれています。

さて、下巻についてですが、法蔵菩薩の48願は、阿弥陀仏となることで成就したにもかかわらず、すべてのものが救われるのは易しいことではないとお釈迦さまは嘆かれます。それは「往(ゆ)き易(やす)くして人なし」という言葉で表現されています。往きやすいにもかかわらず、お浄土に往生する人はまれであるということです。何故かというと、せっかく差し伸べられた手を信頼しきれない、あるいは、払いのけるようなものさえいるからです。例えば、溺れているものがいるとして、救助者が助けようとしたとします。もし溺れている人がその救助者を信用せず、いたずらにバタバタともがき苦しんでいたらどうでしょう。ほっておけば自ら沈み、無理に助けようとすればますます反発して深みにはまる可能性もあります。人間の業(ごう)は私たちが思う以上に重く深く、この生死(苦しみの尽きることのない)の世界から抜け出るためには差し伸べられた救いの手をしっかりとつかむという強い信頼の思いがなくしては、阿弥陀仏であっても容易に救いとることができないのです。皆さんもご存知のように、私は深刻な病気を患いましたが、もし医者を信用せず、自ら治ろうと努力もしなかったら、いたずらに死を早めるだけでしょう。下巻では、私たちがいかに自分たちの愚かさを知らず、いかに頑迷で傲慢であるかを説き明かしています。お釈迦さまの説かれる私たちの本当の姿を謙虚に味わってみると、実に情けない気持ちになってきます。こんなにも愚かで浅はかであるにもかかわらず、あくまで己を頼みとし、虚勢を張りながら生きていることに非常な心細さを感じました。

おのおの貪欲(とんよく)・瞋恚(しんに)・愚痴(ぐち)を懐(いだ)きて、みづからおのれを厚くせんと欲(おも)ひ、多くあることを欲貪す。尊卑・上下・心ともに同じくしかなり。家を破り身を亡ぼし、前後を顧みず、親属内外これによりて滅ぶ。あるときは室家・知識・郷党・市里・愚民・野人、うたたともに事に従いてたがひにあひ利害し、忿りて怨結をなす。富有なれども慳惜(けんせき)してあへて施与(せよ)せず。宝を愛して貪ること重く、心労し、身苦す。かくのごとくして、竟(おわ)りに至りて恃怙(じこ)するところなし独り来り独り去り、ひとりも随(したが)ふものなけん。

(それぞれが欲望や怒りや愚かさを胸にいだいて、できるだけ自分が得をしようとし、少しでもたくさんの物を持っていることを望む。身分や地位にかかわらず皆同じことである。そのために家を失い身を滅ぼし、後先も考えずに、親族をもまきこんでもろともに滅びてゆく。ある時は、親類や知人、町や村のものや愚か者や素性のしれない者たちが、ともに悪事にかかわり、利害を争って、腹を立て恨み合うことにもなる。裕福であっても物惜しみして施しをしようともせず、財産に執着して身も心もすり減らす。こうして、命終わる時には本当に頼りとするものがない。結局は一人で生まれて、一人でこの世を去っていくだけで、何一つ持っていくこともできはしないというのに。

『仏説無量寿経・下巻』

私は、もう少し若い時分には気ままに好きなことだけやって生きてきました。深刻な病気を経験した今、自分の人生について日々真剣に考えています。心底実感しているのは、与えられている時間には限りがあるということです。死はやってくるものではなくて、生れた瞬間から常に一緒にあるのです。それはまるで空気を入れ続ける風船のようなものです。いつ空気がいっぱいになって破裂するかは誰にもわかりません。だからこそ、今何を考えどう生きるかが大事であり、自分はどこへ向かうべきなのかを真剣に考えることが大変に重要なことであると思います。「今が全て」なのです。その積み重ねが人生なのだと思います。「パンドラの匣(はこ)」の喩えのように、どんな災厄や悲しみの中にも、いつでも希望はあるはずです。私達仏教徒にとって、それがお釈迦さまのみ教えてあると確信しています。今回のこの苦境を通して、お互いに生きるということをしっかりと見つめていきましょう。

最後に、私は病気の治療の為に、お世話になったオックスナード仏教会を離れ、日本に帰国することとなりました。みなさんと御門主さまをお迎えしたことや、90周年を一緒にお祝いできたことは私にとって本当に素晴らしい思い出となりました。お世話になったメンバーの皆さんにこの場をお借りして厚くお礼申し上げます。コロナの脅威はまだ衰えておりませんどうかお体に十分に気を付けて元気でお過ごしください。本当にありがとうございました。

南無阿弥陀仏

January 2020

自利と利他

開教使 渡辺正憲

800年の歴史を持つ浄土真宗も一時は衰退の極みにありました。蓮如上人は、浄土真宗の8代目のご門主さまですが、ほとんど潰れかかっていた本願寺を立て直した方として有名です。そして、浄土真宗を日本で一番大きな仏教教団へと押し上げる原動力となった方でもあります。もちろん、浄土真宗は親鸞聖人があってのものですが、蓮如上人の言葉と行動を通して、それが民衆の中に深く根付いていきました。今月は、『蓮如上人御一代記聞書』、あるいは、『蓮如語録』といわれる、蓮如上人のお言葉の中から、一つご紹介したいと思います。

“信もなくて、人に信をとられよとられよと申すは、われ物をもたずして人に物をとらすべきといふの心なり。(略)「自信教人信」と候ふときは、まづわが信心決定して、人にも教へて仏恩になるとのことに候ふ。自身の安心決定して教ふるは、「大悲伝普化」の道理なるよし、おなじく仰せられ候ふ。”

(自分自身に仏教の道理を深く信じる心もないのに、人に信じろ信じろと勧めるのは、持ってもいないものをやると約束するようなものである。⦅略⦆「自信教人信」というのは、まず自分自身が仏教の教え⦅特に阿弥陀仏の本願⦆に深く帰依し、人にもその喜び、ありがたさを伝えることで初めて仏への恩返しとなるのである。自分の仏への揺るぎない信頼があってそれをするのであれば、まさに仏⦅阿弥陀如来⦆の大悲を万人に伝えることになるのである⦅大悲伝普化⦆。)

新しくご継職された25代目の御門主様も、この「自信教人信」の大事さを、各寺院に送られた“書”で教えて下さいます。お寺のロビーにあるものです。この言葉の意味は、「自分がみ教えを一心に信頼し深く喜ぶだけでなく、人にもそのみ教えの喜びを伝え共有していく」ということです。この言葉が教えてくれるのは、信仰というのはどこまで行っても自分の問題だということです。みんなと一緒にお寺を盛り立てていくことももちろん大事ですが、その根本にご自身の仏教を聞く喜びがなければいけません。つまり、自分の利益、「自利」です。それと、同時に、その喜びを他者と分かち合うこと、他者の利益、「利他」も大事なのです。この二つがなくては、本当に浄土真宗の教えを生きるということにはなりません。別な言い方をすれば、本当の仏になるためには、「自利」と「利他」が不可欠ということです。サンガ(同朋・仲間)とは同じ喜びを持つ者同士の集まりであるべきです。

「宝の山に入って、手を空しくして帰るがごとし」ということわざがあります。宝の山とは、仏教の教えのことで、せっかく宝の山を目の前にしながら、それを宝と気づかずに手ぶらで帰って(命を終えて)しまうということです。限りある尊い人生の中でぜひとも我々にとっての本当の宝を手に入れたいものです。少なくとも、私にとってはお釈迦さまの説かれた、浄土の教え、そして、2000年以上の時を超えて、それを私たちにまで伝えてくださった親鸞聖人や蓮如上人、そして何より私たちのご先祖さまたちの努力と深い愛情(慈悲)を、しっかり受け止めることこそ人生の最も大事なことだと思っております。今を生きる浄土真宗者の一人として、「自信教人信(自利と利他)」の心をもってこの素晴らしい浄土真宗のみ教えをみなさんと共に分かち合っていくのが、浄土真宗僧侶としての私の務めだと思っております。

南無阿弥陀仏

August 2019

真の友

開教使 渡辺正憲

正直に言うと、私は人が多く集まる場所が苦手です。大きなパーティのたぐいもできれば遠慮したい方です。子供の頃から、一人か、あるいは、少数のごく親しい友人といることを好んできました。ですから、僧侶という立場で大勢の前に立つようになるとは以前には想像もしていませんでした。では、なぜこの道をえらんだのかと問われれば、矛盾しているようですが、好きなものは多くの人と共有したいからだと答えると思います。

お釈迦さまが説いた仏教にもいろいろな道がありますが、とくに親鸞聖人が“浄土の真宗”と呼ばれた、「念仏往生」の教えに心から喜びを感じるということが一つ。なにより、浄土真宗の宗祖、親鸞という人にものすごく惹かれるのです。権威(教え)を笠に着て、自分を大きく見せようという宗教的指導者は多いように思われますが、親鸞聖人のご著作からは、人柄の実直さ、誠実さを強く感じます。

まことに知んぬ。悲しきかな愚禿鸞(ぐとくらん)、愛欲の広海に沈没し、名利の太山(たいせん)に迷惑して、定聚(じょうじゅ)の数に入ることを喜ばず、真証の証(さとり)に近づくことを快(たの)しまざることを、恥ずべし傷むべしと。”

(いま、まことに知ることができた。悲しいことに、愚禿親鸞は、愛欲の広い海に沈み、*名利の深い山に迷って、**正定聚に入っていることを喜ばず、真実のさとりに近づくことを楽しいとも思わない。恥ずかしく、嘆かわしいことである。)

*名利(みょうり)…自分の名声を求める名誉欲と、自分の利益を追求する財産欲。

**正定聚(しょうじょうじゅ)…かならずさとりを開いて仏になることが正(まさ)しく定まっている仲間(聚)。

-『顕浄土真実教行証文類』-

宗教的指導者で、これほど率直に心情(とくにおのれの弱さ)を吐露しているのは、親鸞聖人とイエス・キリストだけではないかと考えています。そのことによって、却って強い共感と深い畏敬の念を私は覚えるのです。

『論語』の中に、「益者三友、損者三友(えきしゃさんゆう、そんしゃさんゆう)」という言葉がでてきます。友とすべき人間に三種類があり、友とすべきではない人間にも三種類があるということです。『論語』は、含蓄のある言葉の宝庫ですが、その一つです。孔子によれば、友とすべきは、直言、誠実、博識の人間です。逆に、友とすべきでないのは、不正直、不誠実、巧言(口先だけの心のこもらない言葉をいうこと)の人間です。親鸞聖人の書かれたものを読むと、直言、誠実、博識の、益者三友の条件をすべて満たしていることがよく分かります。イギリスの哲学者フランシスベーコンの言葉に、「真の友をもてないのは、まったく惨めな孤独である。友人がなければ、世界は荒野にすぎない」というのがあります。人生は困難の連続であり、この娑婆世界で心から信頼できる友を見つけるのはまことに難しいことです。幸いなことに、私たち浄土真宗者には、“真の友”と呼べるお方がいつでも共にいてくださいます。

お釈迦さまもこのようにいわれています。

法を聞きてよく忘れず、見て敬い得て大きに慶(よろこ)ばば、すなはちわが善き親友(しんぬ)なり。

(教えをよく聞いてよく心にとどめ、仏を仰いで信じ喜ぶものこそ、わたしのまことの善き友である。)

-『仏説無量寿経』-

今、尊いみ教えに出会わせていただいていること、荒野のようなこの世界で“真の友”にめぐり会えた喜びを、「南無阿弥陀仏」とともに深くかみしめています。

南無阿弥陀仏

April 2019

無明長夜(むみょうじょうや)の灯炬(とうこ)なり

開教使 渡辺正憲

無明長夜の灯炬なり

*智眼(ちげん)くらしとかなしむな

生死(しょうじ)大海の*船筏(せんばつ)なり

罪障(ざいしょう)おもしとなげかざれ

*智眼…智慧の眼。肉眼に対する。

*船筏…いかだ。

ー 正像末和讃(36)ー

私は、どちらかというと考えすぎるタイプです。もっと言えば悩みやすいたちです。仏教の僧侶だからもっと落ち着きはらっているべきではないかと考えられる方もおられると思いますし、実際そう言われたことも何度かあります。しかし、ここではっきりしておきたいのは、私は仏道を歩むものであって、覚(さと)ったものではありません。生きている間は一人の人間として悩むのは当然だと考えています。お釈迦さまも仏陀、あるいは、覚者となるまでは、かなりの悲観主義者であったように個人的には思われます。悩みに悩み抜いて、一回転して、それが覚り(真の目覚め)へと転換されたわけです。親鸞聖人も、例えば平安末期、養和(ようわ)の大飢饉の中、鴨長明の『方丈記』や芥川龍之介の『羅生門』に描かれているような、京の町に夥しい死体が転がるありさまを目の当たりにして、“地獄は一定すみかぞかし(まさに地獄こそ我がすみかなのだ)”と感じられたとしても不思議ではなかったはずです。そして、深く”往生浄土(おうじょうじょうど)”を願われたのも頷けます。生きることは、本当に悩みの連続です。そうでないという人もおられるかもしれませんが、かなり稀ではないでしょうか。

私は、辛いと感じる時には、尊敬する、あるいは、共感が持てる作家の言葉を思い出して安らぎを得ることが多いです。お釈迦さまや親鸞聖人のみ教えはもちろん救いとなりますが、仏教とは別に頻繁に胸に浮かぶ言葉があります。それは、太宰治のものです。

私は、自分に零落を感じ、敗者を意識する時、必ず*ヴェルレーヌの泣きべその顔を思い出し、救われるのが常である。生きていこうと思うのである。あの人の弱さが、かえって私に生きていこうという希望を与える。気弱い内省の究極からでなければ、真に荘厳な光明は発し得ないと私は頑固に信じている。とにかく私は、もっと生きてみたい。謂わば、最高の誇りと最低の生活で、とにかく生きてみたい。”

*ヴェルレーヌ…フランスの詩人。象徴派の代表的存在。

この太宰の言葉は、私にとって浄土真宗を理解する上で助けになりました。生きている人間は、聖人君子になろうとしてもなりきれない存在であると私には感じられます。親鸞聖人は、それを”煩悩具足(生まれながらに悩み苦しみを背負った)の凡夫(おろか者)”であると表現しており、親鸞聖人自身も、凡夫の一人であると言われておられます。しかし、先に引用した親鸞聖人の正像末和讃の36首で、「智慧の光のない闇(無明)を生きる凡夫であっても、嘆くことはない。その闇を深く自覚した時にこそ、何が本当に私たちを照らしてくれる光明なのかが分かるのだ」と教えてくださっているのだと思います。自分の凡愚を深く内省した時に見えてくるものこそ、太宰の表現で言うところの「真に荘厳な光明」であり、その光明とは、あらゆるものを必ず無量の智慧と慈悲で救いとろうという阿弥陀仏の呼び声、「南無阿弥陀仏」です。どんな時、どんな状況であっても、私を救いとらずにはおかないという願いに包まれている、その身を生かされている喜びが、浄土真宗なのだと思います。

南無阿弥陀仏

August 2018

仏法には明日ということあるまじく候ふ

開教使 渡辺正憲

"前々住上人(蓮如)仰せられ候ふ。仏法のうへには事ごとにつきて空恐ろしきこと存じ候ふべく候ふ。ただよろづにつきて油断あるまじきことと存じ候へのよし、折々に仰せられ候ふと云々。仏法には明日と申すことあるまじく候ふ。仏法のことは急げ急げと仰せられ候ふなり。"

(蓮如上人は、仏法をいただくものは、仏にいつでも見られている自分というものを意識して行動すべきであり、全てのことにおいて油断があってはならないということを常々言われておられました。《火宅無常の世の中に生きるものとして》仏法を聞くことに明日ということはない、先延ばしにすることなく、今この時に《急いで》ご縁に会いなさいと言われておりました。)

時々、ふと昔のことを思い出します。子供の時の楽しかった思い出や、辛く苦しかったことも記憶の中では美しく、もうあの頃には決して戻ることはできないのだと思うと切なくなります。もう一度あの日々に戻れたらと思うようなこともありますが、思い出の場所を訪れたり、懐かしい人に会ったら、その時の感動がそのまま甦るかというとそういうこともない気がします。22歳の時に、初めてイタリアを訪問して大変感動し、“あの興奮をもう一度”と、38歳の時に再びイタリアのいくつかの都市を訪ねてみましたが、最初の喜びが戻ってくることは決してなく、非常に味気ない思いをしました。その時に気づいたことは、人間は過去を生きることはできない、今この時を生きるしかないのだということでした。

仏教では、“無常”や“死”のことについて話します。人によっては、それをネガティブな印象として受け止めるかもしれません。ラテン語の格言には、“Memento mori(メメントモリ、死を忘れるな)”というのがあります。実際、生きるということは、死んでいくということなのです。多くの人が長生きをしたい、死にたくないと思うかもしれませんが、逆に考えて、もし命が永遠だったらどうでしょう。想像するに、もし私が人間として永久にこの世界を生き続けなければならないとしたら、全てが退屈、あるいは苦痛と感じられると思います。命が有限であるからこそ、人生における経験が喜ばしく思えるのです。それぞれの人生での出来事は、その人にしか出会えなかった貴重なものであり、それで思い出は美しく胸に感じられるのでしょう。

“人生は、美しい”とは言い古された表現ですが、そう思えるかどうかはこの限られた人生の時間をどう生きるのかにかかってくると思います。仏教、特に浄土真宗では、浄土は往(い)くべきところであると同時に還(かえ)るべきところです。旅行が楽しいのは、還るべき家があるからです。還るべきところがわからなかったら、苦難に満ちた旅となるでしょう。同じ日は二度と訪れることなく、人生のこの瞬間も決して繰り返されることはありません。もし、明日にでも人生の終わりを迎えなくてはならないとしても、“ありがたい人生であった”と思えるかどうかは、私たちの生き方次第です。今回引用したお言葉からは、せっかくいただいた限りある貴重な人生の中で、この世の宝とも言うべき仏法に今すぐに出会って欲しいという蓮如上人の切実な思いとこの上ない深い優しさを感じます。

南無阿弥陀仏

July 2018(2)

離見(りけん)の見

開教使 渡辺正憲

表題の言葉は、仏教の教えではありません。日本の能楽の第一人者ともいえる世阿弥の著した『花鏡(かきょう)』の中に出てくるものです。

見所より見る所の風姿は、我が離見なり。しかれば、わが眼(まなこ)の見る所は我見(がけん)なり。離見の見にはあらず。離見の見にて見る所は、すなわち見所同見(けんしょどうけん)の見なり。その時は、わが姿を見得するなり。”

観客の側からみた演者の姿は、自分《演者》を客観的に捉えたものである。私が私自身をこうだと思っているものは我見《主観》である。客観ではない。観客の側に立って己を見ようとするのは、自分自身を客観視することであり、その時に初めて己の本当の姿が見えてくるのである。)

美術の道を志したものとして、芸術論、特に西洋のものは学生時代にかじりました。なるほどと頷けるものもありましたが、心から感動し、共感できたのはやはり日本の芸術論でした。岡倉天心の『茶の本』や、世阿弥の『風姿花伝』は芸能・芸術に留まることなく、人生の本質にまで及ぶ深い洞察力が感じられ、このような人たちが日本に存在してくれたことを本当に誇らしく思いました。日本の賢哲の持っている素晴らしさは、物事の本質を短い言葉で的確に表現できる所ではないかと思います。今回の「離見の見」も、一見能の演技に対することを述べているようで、人生の要諦を鋭く突いています。マルチタレントの北野武も「人に抜きん出るような人間は、常に自分を客観視できる目を持っている」と何かの雑誌のインタビューで答えていたのを読んだ記憶があります

「離見の見」を仏教的に言い換えるなら、八正道の「正見」に近いのではないかと思います。物事をあるがままに正しく見るということです。「我見」の方は強いていうなら、「正見」の反対の「邪見」でしょう。つまり自分の執着に捕われた見方です。お釈迦さまは『涅槃経』の中で「一切の悪行の因は、邪見である」と説かれました。「見」は、この場合「考え」という意味です。自分を中心にして、自分の考えに固執したものの見方は、自分も周りも息苦しくさせます。本願寺大谷派に「正見に住して禍福(かふく)に惑わず」という同朋箴規(どうぼうしんき)(標語のようなもの)があったそうです。これは、「幸も不幸も自分の執着の産物であって、本当は条件次第でどうとでもなるもの、何でもないものである。執著を離れ、あるがままにものを見て平気に堂々と生きていけばよい」ということです。このような見方を、仏教では「縁起」と呼びます。今を生きる私たちこそ、「正見に住して禍福に惑わず」という言葉を深く味わうべきではないかと強く感じます。

「正見」を持つことは容易なことではないですが、それを心がけるかどうかで人生の意味合いは大きく変わってくると思います。世阿弥は、仏教ではなく能を通して、自分をありのままに見つめて、自分の本当のあるべき姿に立ち返ることの大切さを教えてくれたのだと思います。

南無阿弥陀仏

July 2018 (1)

棺(かん)を蓋(おお)いて事定まる

開教使 渡辺正憲

インターネットの発達で、いい事も悪い事もあっという間に世間(あるいは世界中に)に広まるようになりました。有名人のスキャンダルなどは、特に人の耳目を引くようです。例えば、偉大な記録を残したアスリートでも、つい出来心から起こした事が、その人物の評価を著しく下げ、過去の業績を傷つけると言う話には事欠かないようです。何かすごいことをするよりも、悪いことをしないで人生を終えることの方が実は難しいのかもしれません。もちろん何か偉業を成し遂げることは、大変にすばらしいことですが、人間にとって大切なことは、日々の生活に感謝しながら地道に真面目に生きることではないかと私は考えています。

プラトン著の『クリトン』の中で、「一番大切なことは、単に生きることではなく、善く生きること」、「善く生きることと美しく生きることと正しく生きることは同じである」と、死刑宣告を受けたソクラテスが脱獄を促す友人クリトンを諭す場面があります。ソクラテスは、青年に良からぬ影響を与えたかどで服毒自殺を迫られますが、彼は取り乱すことなく己の信念に殉じるために、国民の審判に従い毒杯を呷(あお)ります。ご存知のように、当時は犯罪者扱いされたソクラテスが、今では世界で最も知られた哲学者となっています。もし、彼がクリトンの言うことに従って脱獄して命を永らえていたとしたら、ソクラテスのしてきた努力は全て否定されることになっていたかもしれません。それがいかに理不尽な判決であったとしても、あえて国の法律に従ったが故にソクラテスの偉大さは輝くこととなったのです。

この話でポイントとなっているのは、「善く生きるとはどういうことなのか」ということです。世の中のルール、例えば法律に従って生きることが善く生きるということなのでしょうか。たくさんの人間がいれば大抵いざこざが起こります。何故かといえば、みんな我慢をしたくないからです。それぞれのエゴを通そうとすれば、争いの種が生まれます。衝突を避けるために、各人の我慢が最小限で済むように作られたものが法律であり、条文の量の多さが私たちの身勝手さを象徴しているように感じます。つまり、法律のようなルールは善く生きる指針というよりも、悪いことをしないための目安なのではないかと思います。では、善く生きるためには何をよりどころとすべきなのでしょうか。それは、簡単にはいえないことです。浄土真宗の僧侶としては、「もちろん、それは仏教である!」といいたいところですが、み教えそれ自体は一つのヒントでしょう。宗教は、善く生きるための助けになるものであって、盲信すればいいというものではないと思います。人生には、哲学であったり、科学であったり、目を開きさえすれば、善く生きるためのヒントはどこにでもあると思います。大事なことは、自らの頭と心を使ってとことん自問自答していくことではないでしょうか。物事を深く考えるためには、足場となる視点が必要です。多言語を話せる能力がある人たちも、熟慮するためには母国語が大きな意味を持つように、真宗者にとっては、お釈迦さまや親鸞聖人のみ教えが足場となる視点を与えてくれると思います。もしこの道でしっくりこないと思う場合は、他の道ものぞいてみることをお勧めします。親鸞聖人も『歎異抄』の中で「念仏をとりて信じたてまつらんとも、またすてんとも、面々の御はからいなり(念仏の教えをよりどころとしようとすまいと、それはあなたの自由選択ですよ)」と言われています。しかし、このように言い切れるほど、聖人は念仏のみ教えを信頼していたということです。

物事に明確な答えを出すことは簡単なことではないですが、誰もが必ず人生の終焉を迎えるのであり、その時に自分の人生がどういうものであったのかを問われることになります。その時に、人生が「善く、正しく、そして、美しいものであった」と振り返れるものだったとしたら、それはなにより素晴らしいことではないかと思います。

南無阿弥陀仏

June 2018

先達(善知識)のありがたさ

開教使 渡辺正憲

*善知識(ぜんぢしき)にあふ(遭う)ことも

をしふる(おしえる)こともまたかたし(難しい・尊い)

よくきくこともかたければ

信ずることもなほかたし

*善知識...仏教用語で、正しい教えを説いて、仏道に入らしめる者。あるいは、共に仏道に励む者を言う。

−浄土和讃69首−

中学校時代、私は国語と英語と美術の授業は好きで、これらの教科だけは良い成績をいただいておりました。考えると今の仕事に密接に結びついているスキルです。特に国語は好きで、3年生の時に習った古典のお話はよく記憶に残っています。その中でも特に印象にあるのは、吉田兼好の『徒然草』の中のお話で、「仁和寺の和法師」と言う題名のものです。京都の仁和寺のある法師が、年を取るまで同じく京都にある石清水八幡宮を見たことがなかったので残念に思い、意を決して徒歩で訪ね、男山の麓の極楽寺と高良(こうら)神社を参拝して、「期待していたのに、なんだこんなものだったか」と呆れ、帰ってきてしまいます。その後仲間の僧侶に、「いやー、念願であった石清水八幡宮に参ることができました。大変尊くて感動しました。参る人たちは山の方に登って行きましたけれども、私の本意は神社に参拝することだったので、何事かあるのだろうと興味はありましたが、山までは登りませんでした。」と自慢しました。聞いていた同行は、おそらく失笑したことでしょう。なぜなら、石清水八幡宮は、山の上にあったからです。ですから兼好法師は結びに、「少しのことにも、先達(せんだつ、あるいは、せんだち)はあらまほしきことなり(どんな些細なことでも、案内役と言うのは大切なものだ)」と述べています。

確かに、どこか目的地に着くためにはその場所に行ったことがあり、事情をよく知っている人、つまり「先達」に連れて行ってもらうのが一番の近道です。それが、近場で地図を頼りに行けるような場所ならば自力で行くことも可能でしょう。今はカーナビやiPhoneような便利なものもあります。しかし、それはあくまで私たちの足で行ける所の話です。浄土真宗者である私たちが向かうべき先は、お浄土です。地図もカーナビも位置を示すことができない場所です。頼るべき案内人がいなければおそらく自力では辿り着けないでしょう。お浄土への先達とはお釈迦さまであり、お浄土の主である阿弥陀様です。その教えを後代まで伝えてくれた多くのインド・中国・日本の高僧たち、親鸞聖人、蓮如上人、そして、私たちのご先祖さま方もまた、大切な案内人です。何よりも“南無阿弥陀仏”の呼び声こそ、もっとも尊い導きです。

私は、浄土真宗の僧侶になるまで、“南無阿弥陀仏”をありがたいと思ったことは正直に言ってありませんでした。しかし、僧侶になり、仏教を学ぶ中で、“生死(しょうじ)”という逃れようのない己の真実に気付いた時に、本当に頼みにできるものについて真剣に思いをいたすようになってきました。そんな時、私が幼い頃から一生懸命に浄土真宗のみ教えを伝えようとしてくれた自坊の前住職であった祖母の死が私に大きな啓示を与えてくれました。祖母は亡くなる一年ほど前から体調を崩し、亡くなる前の半年間は、脳腫瘍のために苦痛の中で過ごさねばなりませんでした。時には苦しみから、「南無阿弥陀仏なぞ、ちっともありがとうない」と吐き捨てるように言うこともありました。しかし、そんな祖母も亡くなる直前には、ほとんど話せないはずの口から「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀」と二回念仏を称えて息を引き取りました。そして、その死顔は今までの苦痛を微塵も感じさせないほど穏やかなものでした。彼女は、89年の生涯を通して私にお浄土への道をはっきりと示してくれました。この祖母は、祖父の後妻だったので、直接の血のつながりはありませんでしたが、本当に尊い出遭いであったと思っております。彼女は私にとっての「善知識」でした。お浄土に参らせていただくには、心でその道を訪ねて行かなくてはなりません。その時に、間違いなく私たちを導いてくれるのは、阿弥陀様の呼び声である“南無阿弥陀仏”だけなのです。この“先達”に常に耳と心を傾けながら、尊い“生死の身”を生きて参りましょう。

南無阿弥陀仏

お墓参り法要(メモリアルデー)

開教使 渡辺正憲

メモリアルデイのお墓参りサービスに、ようこそお集まりくださいました。

それでは合掌お願いします。

智慧の光明はかりなし

有量の諸相ことごとく

光暁かぶらぬものはなし

真実明に帰命せよ

浄土和讃 第4首

亡くなられた方々を法要を通して思い出すことは、その方々と一緒に過ごした自分の人生を振り返り、これからをより豊かに歩んでいくためにも非常に大切なことです。ですから、皆さまが今日、ここに集まられたいることは素晴らしいことです。

私がこのお墓参りの法要をこちらでさせていただくようになって5年目ですが、いつも見かけていたいくつかのお顔をもう見られなくなってしまったことは本当に寂しいことです。時間は確実に流れているということを感じざるをえません。しかし、今もその亡くなられた方々が私の心の中にいて励ましてくれていることを感じます。

仏教の教えは、もちろん亡くなられた後の平安を説きますが、それと同時に今を生きる私たちがどのように溌剌に生きてゆけるのかという智慧をも教えてくれます。

病気にならない健康な体を維持するということはもちろん大切なことですが、人間はやはり心の在り方というものが大きな影響を体にもたらします。

お釈迦さまは、心の健康を保つことは、自分の命を喜び、自分を生かす多くの命に感謝することだと教えてくださいます。自己中心的に生きることは、逆に自分の人生を苦しくさせることです。

日本には“言霊(ことだま)信仰”というものがありますが、言葉にはそれを発するものと聞く者に強い影響を及ぼす力があるということです。とげのある言葉は、聞いた人間が傷つくだけでなく、それを口にする人間の心をも少しずつ荒ませていきます。しかし、思いやりのある言葉は、聞く者も言うものも共に安らかな気持ちになるものです。日々の挨拶や「ありがとう」という言葉はその例になるでしょう。家族や友人にこれらの言葉を言うことによって人間関係が円滑になり、お互いが安らかに生きて行けます。たかが言葉と思うかもしれませんが、言葉は私たちの人生を左右するほどの力を持ちます。

私たちが口にする"南無阿弥陀仏"も言葉です。もし、この言葉に込められた深い思いやりを知らなければただの言葉でしょう。これは私たちすべてを一切の苦しみから必ず救い取ってくれるということを誓われた仏さまのお名前です。苦しい時、悲しい時、子供が「お母さん!」と呼べば、母親がすぐに飛んできて優しく抱きとめてくれるように、阿弥陀仏の名を呼べば、「心配ない、いつでもどんな時でもここにおるぞ」という心を感じることができるのです。お釈迦さまの説かれた『仏説阿弥陀経』の中にこのような記述があります。

「もし人が、この仏の名を称えるならば、永遠に尽きることのない迷いの世界に入る罪をも除くのである。ましてや一心に思うに至っては、なおさらのことである。

まことに念仏する人は、白蓮華のような素晴らしい人である。慈悲と智慧との二菩薩はその友となり、また常に道を離れることなく、ついに浄土にうまれることになるであろう。

だから、人々はこの言葉を身につけなければならない。

このことばを身につけるということは、この仏の名を身につけることである。」

そして、『阿弥陀経』の中には、すべての仏さまがその言葉を口にするものを取り巻いていつも守ってくれているとも説かれています。すべての仏さまとは、亡くなられた親しい方々ももちろん含まれています。

今日のこの法要を通して、ぜひその方々の温かい励ましがいつでもあることを思い出していただきたいと思います。

もし、もっと近くに感じたいなら、その方々の優しさや笑顔を思い出しながら「南無阿弥陀仏」を口にしてみてください。きっと彼らの力強い応援があることに気がつくでしょう。

人生は一筋縄では行かないものですが、南無阿弥陀仏の呼び声を聞きながら、一日一日を感謝しながら生きていきましょう。それこそが、仏教の説く“自らを救う”智慧の道なのです。

合掌お願いします。

“仏は永遠に滅びない。覚りが滅びない限り、滅びることはない。この覚りが智慧の光となって現れ、この光が人をさとらせ、仏の国に生れさせる。”

南無阿弥陀仏

May 2018 ⑵

他力本願では駄目?

開教使 渡辺正憲

「他力本願ではいけませんね。」 日本にいた頃、よくテレビでスポーツ観戦をしていましたが、解説者がこのようなことを時々口にしていたのを記憶しています。その時は、まだ浄土真宗の僧侶ではなかったので全く気にもならなかったのですが、今ではこういう発言をどこかで耳にすると少し嫌な感じがします。真宗者にとっての信仰の本質を表現した言葉を、世間で否定的なニュアンスで使用されることがあるのは、「他力」というのが「人任せ」という意味で解釈されるからだと思います。

ある日本の政治家が「自己責任」ということを口にして、何でも自分の責任のもとに行動すべきという価値観が「良いこと」として日本人に受け入れられたという印象があります。確かに「自己責任」や「自己努力」はとても大切なことです。一方で、自分の力だけではままならない世の中であるのもまた事実であり、自分のことさえうまく行けばいいという考えには同意しかねます。

曹洞宗の開祖である道元禅師が『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』の中で言及しているように、仏教を学ぶ大きな理由の一つに「自分を知る」ということがあると思います。仏教という“鏡”を通して自分自身の姿をよくよく観ずれば、人は一人で生きてはいない、もっと端的に言えば、人は一人では生きられない存在だということが分かってきます。例えば、完全に自給自足で生活していない限り、衣食住に関わるほとんど全てのものが自分以外の人間の手によってなされたものであることが分かるはずです。私たちは経済の発展の恩恵を受けて、必要なものをお金との交換によって得ることができます。それに慣れてしまうと、自分の身の回りのものが他の人間の汗と時間によって提供されているということを忘れがちになります。しかし、私たちは他の人間とのつながりとサポートの中ではじめて生きることができるのであり、もっと広い視点に立てば、普段何気なく吸っているこの空気や、飲んでいる水、朝になれば何人も差別なく照らしてくれる温かい太陽の光のような、私たちに与えられている大いなる恩恵なくしては一瞬たりとも生きながらえることができないということに気づかされると思います。この地球にとっては害になることばかりをしているにもかかわらず、この大地は私たちを見返りもなく育んでくれています。ですから、「自己中心」にもの考え行動するということは、自分たちのよって立つ道理を正しく認識していないという非常に近視眼的な傾向であると私は考えます。

親鸞聖人は、浄土真宗者にとっての偉大な宗教的リーダーであるだけでなく、日本が生んだ素晴らしい思想家の一人であると考えています。その教えには、真宗者であろうとなかろうと、傾聴に値する大いなる智慧があります。聖人が示された「他力本願」というお言葉は、一つ一つの命が、目には見えない、あるいは気づかない大きな働きによってはじめて生かされている尊いものなのだということを教えてくれます。

世界各地で起きている悲劇的な事件の報道を見聞きする度に、私たちは過去の偉人たちの智慧にもっと真剣に耳を傾けなければいけない時代に生きていることを感じます。

南無阿弥陀仏

May 2018 ⑴

念仏のみぞまことにておはします

開教使 渡辺正憲

5月と言えば、親鸞聖人のご誕生をお祝いする降誕会(ごうたんえ)の法要がございます。親鸞聖人のみ教えに触れれば触れるほど、聖人の人間としての魅力を感じます。浄土真宗の宗祖として、”親鸞聖人”、あるいは”親鸞さま”とお呼びすべきなのでしょうが、個人的にどうも距離を感じてしまいます。大変に不遜なことを承知で、非常に身近な存在として”親鸞さん”とお慕いしたい気持ちがあります。親鸞聖人ご自身も、法然聖人門下との問答で、「法然聖人の信心も、私の信心も阿弥陀仏の大慈大悲心のもとでは同じである」と言い切って非常な物議を醸したと「御伝鈔」や「歎異鈔」の中に記されています。仏法の上では、世間的な名聞(みょうもん)や勝他(しょうた)など意味はないと親鸞聖人は考えていたのではないかと思います。

作家の司馬遼太郎が、「もし無人島に一冊だけ本を持っていけるとしたら」との質問に、「それは『歎異鈔』である」と答えたと聞いたことがあります。『歎異鈔』は30ページほどの書物ですが、多くの人たち、特に知識人を惹きつけてやまない魅力があるようです。私たち真宗者にとって『歎異鈔』を通して親鸞聖人のみ教えの本質の一端を窺い知ることができるのは、本当にありがたいことです。

ところで、私はテレビを見るよりも、You Tubeで著名人の講演等を見たりするのが好きです。人生を豊かに生きるための知恵を提供してくれるような話も多いのですが、この頃は「どうしたらお金が儲かるか」とか「人から抜きんでる賢い生き方」というような類のものをよく見かけます。実際にお金を儲けているそれらの人たちの話を聞いていると、なるほどと頷ける反面、ゲーム感覚で人生を生きているのかなと感じることもあります。集団から個人へと価値観がますます多様化し、万人に通じる明快な「答え」というものが見えづらくなっている世の中で、生き残るための「処世術」について必死に考えることは勿論大切なことでしょう。一方で、仏教で言う所の「無常の風」は時と場所を選ばず容赦なく吹いてくるということを考えると、限りある尊い命を現世的なことだけに追われて終えるのもちょっと残念だなと感じます。人にはそれぞれ生き方を選ぶ権利がありますし、経済的な欲求を満たすことが生きる指針や喜びになっているのなら、それらの人たちの考えを尊重します。ただ私個人は、お金や名声では満たされないものが自分の中にあるのを強く意識しています。黒沢明監督の映画『生きる』のテーマにもなっていますが、自分の利益を追求するだけではなく、人や社会の役に立つこと(利他)が一つの生きがいになるのではないかと思いますし、何が起こっても揺るがない“安心”というものが人には必要ではないかとも考えています。生き馬の目を抜くような生き方が奨励され、明日何が起こるかもわからない“火宅”の中を不安とともに生きる私たちにとって、『歎異鈔』の親鸞聖人のお言葉は多くの大切なことを教えてくださいます。特に、聖人の結びのお言葉は非常な重みを持って末法(仏法が正しく理解されない時代)を生きる私たちに響いてまいります。

煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろづのことみなもてそらごとたはごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておはします」

南無阿弥陀仏

April 2018

今を生かされて

開教使 渡辺正憲

世の中を憂しとやさしと思へどもど飛び立ちかねつ鳥にしあらねば”

山上憶良

万葉集の巻五に出てくる山上憶良の歌ですが、折に触れて胸に浮かんでくるものです。歌の意味は、「世の中をうれい、耐え難いほど辛いと思ってもここから飛び去ることもできない、鳥ではないのだから」というものです。 お釈迦さまが説かれた「世の中の一切は苦なり(一切皆苦)」という教えを知ろうと知るまいと、生まれ出たその時から、「人生は一筋縄では行かない」と思わないで来られた気楽な人など殆どいないでしょう。喜びはほんのひと時で、あとは苦労が多いものだと思います。私は、子供の頃から「なぜこの世に生まれてしまったのか、何のために生きなければならないのか」ということを漫然と悩んでいましたが、下手の考え休むに似たりで、ただ世の不条理を厭い、こんな世の中から逃げ出せたらいいのにといつも願っていました。現実的にはそれはできないことで、与えられた寿命の尽きるまで生きることを生きなければなりません。そんな中で、憶良の歌や、石川啄木の「高きより飛び降りるごとき心もてこの一生終わるすべなきか」といった歌に共感することで、ある種の慰めを得ていました。10代20代の頃は、人生をなかなか楽観的には捉えることができませんでしたが、苦しみの多いこの世界でこの先も長く生きなければならないという不安が原因だったように思います。

30代でひょんなことから浄土真宗の僧侶になることになり、仏法を聞くご縁をいただいて、自分の考え方に変化が生じてきました。善導大師が言われているように、仏教の教えが”鏡”となって私の真実の姿がだんだんと見えてきました。「この人生は、辛いのが当たり前、何故なら苦労が多いほど心は磨かれていくのだから」ということが分かってきました。ダイヤモンドのような宝石も、原石を磨き上げた時に初めてあのように美しい光を放つのです。ただ磨くだけではもちろんいけません。職人は、どう磨くべきなのかという方法を知った上で、しかも長い鍛錬を必要とするものです。苦労は私たちにとっての磨き石です。そして、仏教のみ教えは、私たちの智慧をどのように正しく磨くべきなのかを教えてくれています。人生はその鍛錬の期間でしょう。それが理解できると、生きることの難しさが、”有り難さ”に変わってきました。

44歳で大病を得て、”死”というものを強く意識するようになって、もちろん恐怖もありますが、必ず誰もが通る道であり、今生かされていることが奇跡のようにありがたく感じられるようになりました。「今日一日生かされていることがこんなにも素晴らしい、生きられる時間を精一杯生きよう」と今は考えています。もし仏教、特に浄土真宗のみ教えに出会わせていただくことがなかったら、こういう風に考えることができたかどうかわかりません。何があっても南無阿弥陀仏に還らせていただけるという安心があるから、この苦労の多い人生の旅路を喜べるのです。南無阿弥陀仏とともに、今生かされている命を噛み締めています。

南無阿弥陀仏

March 2018

生かされている喜び

開教使 渡辺正憲

ずいぶんと長い間こちらに日本語のメッセージを書いていませんでした。いくつか理由がありますが、一つにはオックスナードとサンタバーバラのお寺を兼任していたことによる忙しさがありました。別な大きな理由は、気づかないところで腹部に大きな病を抱えていたことです。

このことに気づいたのは、昨年(2017年)の3月でした。それまでも少し耐え難い腹痛を感じていましたが、ストレスと働きすぎによるものでいずれは治るだろうと高をくくっていましたが、かかりつけの医者からは、手術を必要とするものだろうといわれて大変びっくりしました。それまで大きな病気をしたことがなく、入院というものも1日したことがあるだけだったので、呆然としました。その後の検査の結果、自分が考えるよりも状況が深刻であるということが判明し、長い治療を余儀なくされました。今現在も続いている治療は、正直つらいものです。しかし、昨年12月の手術も成功し、少しずつ体が回復してくれているのはありがたいことです。もしかしたら死を覚悟しなければならない状況だったので、今こうして生かされていることが、不思議でもあり、本当に嬉しくもあります。

治療中は、肉体的な苦しみもありますが、やはり精神的な葛藤があります。私は、独身なこともあり、身の回りのことを全部ひとりでやらなければなりません。健康な時はとくに苦にならなかったことが、治療の副作用のために非常な負担になります。一人で過ごす時間が多いために悲観的な思いにさいなまれることもあります。そんな時、心の慰めになったのは、向坊弘道さんのお話です。この方は2006年に60代後半で亡くなられましたが、念仏のみ教えを本当に喜ばれた人でした。東大生だった19歳の時に、北九州の自宅近くで交通事故を起こし、首の骨折のために全身麻痺となりました。世間的な明るい将来が見えていたところを、急に地獄に突き落とされたと感じたことでしょう。事故後しばらくは、「死にたい」の一点張りだったそうです。しかし、26歳の時に、浄土真宗のみ教えに出会えたことによって、苦しみも喜びの種となりうるということに気付かれたそうです。それからは聞法に励み、著書や講演、そして何よりご自身の生きざまを通して、法に出会えた喜びを多くの人に伝えました。浄土真宗では、本当に法に生きた方々を「妙好人」として敬う伝統があります。私にとって、向坊さんは妙好人ともいえる人です。向坊さんの講演(法話)を録音して、毎晩のように聞きました。聞けば聞くほど味わいのあるお話で、向坊さんの声が阿弥陀さまからのメッセージのように感じられました。教えは知識じゃない、法に聞き、法に生きることなのだということが身に染みて理解できました。向坊さんのお陰で深い孤独から癒され、何があっても阿弥陀さまにお任せしようという気持ちになりました。そう覚悟できると、これから何があっても人生の学びとして受け止めていこうと前向きに考えられるようになってきました。縁があって、このみ教えに出会わせていただくことができて、そして阿弥陀さまの願いを喜べる心が得られたことによって、生かされている命が本当にありがたいものと感じられます。苦しみの多い人生を喜びに転換する所に仏法の力の大きさがあると思います。

南無阿弥陀仏

December 2015

今ここでの救い

開教使 渡辺正憲

すっかり寒くなりました。10月までの猛暑は一体なんだったのかと思います。季節は巡り、いつの間にか年の瀬を迎えることになりました。OBTの開教使としての2年目である2015年は本当にいろいろな新しいことを経験させてもらいました。Montebelloでの南加仏教者会議での日本語の基調講演をさせていただいたのはとても光栄なことでしたし、10月のゴルフ大会もたくさんの参加者もあり、非常に盛り上がりました。2013年の12月からオックスナードでお世話になっているので、私にとっての新たな3年目が始まります。今後とも皆様の温かいサポートに応えられるように頑張っていきたいと思います。

日曜礼拝は、2つのサービスがあります。9時からの日本語サービスと、10時からの英語サービスです。両方とも私にとってはメンバーの皆さんとお会いできるとても楽しい時間なのですが、日本語サービスの中で必ず拝読させていただく本があります。「拝読 浄土真宗のみ教え」という親鸞聖人の教えを分かりやすく解説したものです。その中にいくつかの短いお話が書かれていますが、今回はそのうちの一つをご紹介したいと思います。「今ここでの救い」という題名のお話です。

「念仏の教えにあうものは、いのちを終えてはじめて救いにあずかるのではない。いま苦しんでいるこの私に、阿弥陀如来の願いは、はたらきかけられている。親鸞聖人は仰せになる。“信心定まるとき往生また定まるなり”。信心いただくそのときに、たしかな救いにあずかる。如来は、悩み苦しんでいる私を、そのまま抱きとめて、決してすてることがない。本願の働きに出会うそのときに、煩悩をかかえた私が、必ず仏になる身に定まる。苦しみ悩む人生も、如来の慈悲に出あうとき、もはや苦悩のままではない。阿弥陀如来に抱かれて人生を歩み、さとりの世界に導かれていくことになる。まさに今、ここに至りとどいている救い、これが浄土真宗の救いである。」

実際、浄土真宗を勉強する前の私にとっては、これは非常に難解な文章だったでしょう。まず如来とは何なのか。本願?信心?一体何の話なのかと思ったことと思います。おそらく、現代の高度な教育を受けている人たちにとってはなおさらのことと思います。私は、仏教学校で仏教、特に浄土真宗の基礎を教えていただいたおかげで、今はこれを読むたびにうなずけるものがあります。

私の理解では、仏教の教えを学ぶのは“自分自身を知る”ということが1つの大きな目的だと思います。“如来”とは、私を私たらしめる命の根源です。皆さんは、自分の命がどこから来たのか答えられますか?ご両親と答えられる方もおられると思います。しかし、この場合の質問は、“命の始まり”のことです。少なくとも、私は明確な答えを知りません。DNAということを皆さんが普通に口にするように、長い時間をかけて私たちが人間へと進化してきたと今は信じられています。科学者たちは私たちが一体何者なのかということを宗教とは別なアプローチで探求しているのだと思います。私の考えでは、お釈迦さまも私たちの真実を教えてくれる、いわば科学者の1人です。仏教の教えを読み解くためには、勉強がもちろん必要なのですが、学べば学ぶほど“気付き”の喜びがあります。

いつも言うようですが、お日様のありがたさというものを感じることがありますか?お日様がなければ一時たりとも生きられません。いわば、私たちを育む命の源です。多少の例外があるとしても、誰もが毎日その暖かな日差しのおかげで、一日をはつらつと生きていくことができます。先にご紹介した文章の”阿弥陀如来”を”お日様”に置きかえてみると、内容が少し分かりやすくなるかもしれません。“信心”というのは信頼する心ということですが、信頼する、しないに関わりなくお日様は私たちを照らしてくれますね。しかし、もしお日様のありがたさに気付くことができたら、この一瞬一瞬がいかに奇跡のような時間であるかが分かると思います。その時、感謝の心が自然とわき上がると思います。その感謝の心を、仮に“信心”と考えてみてください。私の命が大いなる働きによって包まれ、今まさにここに生かされている。それに気付くことによって、世の中の見方が変わっていくことと思います。今まで当たり前だと思っていた1日1日が黄金のような光を放ち、普通だと思っていた自分の命がどんなに価値のあるものかが分かると思います。この気付き、感謝の心が、私自身を私の苦しみから解放する智慧なのです。

このように、浄土真宗は何も後生(亡くなった後の世界)の話だけをする宗派ではありません。今まさに私たちが聞くべき、大いなる智慧について学ぶ学問であるとも言えると思います。

2015年は本当にお世話になりました。2016年も親鸞聖人の教えをよりどころとして、共に日日をはつらつと過ごして参りましょう。

南無阿弥陀仏

November 2015

輝く命

開教使 渡辺正憲

いよいよ2015年も残り少なくなってまいりました。本当に時間の経つのは早いものです。11月は昨年同様、広島の寺の報恩講の手伝いのために二週間ほどオックスナードを留守にします。一年ぶりの田舎の紅葉を見るのが楽しみです。

オックスナードに赴任して驚いたことの一つに、すべてのお経(大蔵経)が揃っているということがあります。比地家による寄贈であると聞きましたが、これはお寺の本当に貴重な財産の一つです。八万四千の法蔵と言われるように、お釈迦さまはたくさんの尊い教えを私たちに残してくださいました。私も一生の内一回ぐらいはすべてのお経に目を通すことに挑戦してみようかと考えていますが、親鸞聖人の先生である、浄土宗の宗祖法然聖人は、その大蔵経を五回も読み通したと言われています。そして、その内容をほとんど暗記していたそうです。法然聖人は「智慧の法然坊」と呼ばれるほど賢い人でしたが、浄土宗の教えの根本とされたのはたった三冊のお経でした。「浄土三部経」と呼ばれるそれらのお経が私たちのいただく浄土の教えの拠り所となっています。オックスナードのお寺の内陣に四つの巻物があるのに気付かれると思いますが、あれが「浄土三部経」です。なぜ四巻?と思われる方もあると思います。それは、三部経の一つで、最も大切と言われる「仏説無量寿経」が上下巻に分かれているからです。その上巻は、法蔵という菩薩がいかにして阿弥陀仏になったか、そして下巻には、私たちがなぜ“南無阿弥陀仏”を必要とするのかが書かれています。上巻の中ほどに、法蔵菩薩が阿弥陀仏になる前に四十八願と言われる誓いを他の仏や菩薩の前に宣言した様子が描かれていますが、それらの誓いの中でも18番目の願いが最も大切なものです。第十八願とか、本願と呼ばれるものです。これが私たちが念仏することで救われると考えることができるもとになっているわけです。しかし、他の47の願いももちろん大切です。今回はその中でも第三の願いを紹介したいと思います。

「たとひわれ、仏を得たらんに、国中の人・天、ことごとく真金色ならずは、正覚を取らじ」

(たとえ、私が仏となっても、私の国(浄土)の中の人々がことごとく本当の金色でなかったならば、私は仏にはなりません。)

すべてのものが黄金のように輝く世界を実現できないなら、自分だけが最高の境地に安穏とすることはしないというわけです。黄金というのは最も価値があるものの喩えです。この願いは、どんな命もそのありのままに最も尊いということを私たちに教えてくれているように思えます。しかし、現実はどうでしょうか?現在、世界中で、さまざまな形の差別や迫害に苦しんでいる人たちの話に事欠きません。お釈迦さまのご在世当時でも、そして今でも、インドにはカースト制度による人種差別が厳然と存在していますし、もっと身近な例で言えば、学校のいじめなども一種の差別であり、迫害になります。自分が学生であった時、子供同士のいじめを目の当たりにして本当に心が寒々とした記憶があります。

仏教の教えの中に、「諸法無我」というものがあります。固定的な“じぶん”というものが無いということです。この考えを理解するのは易しくはないのですが、英語では“interdependence”となるので、それぞれが互いに依存しあっているという風にも解釈できると思います。もっとくだいて言うなら“人は一人では生きられない”ということです。私たちは互いに支え、助けあって初めて私たち一人一人でありうるのです。ですから、それぞれの命が同じように尊重されるべきです。しかし、この根本的な真実に気付けないという私たちの迷いの闇の深さがあるのです。だからこそ、その闇を払う仏の智慧の光を必要とするのです。

阿弥陀仏の智慧と慈悲は、日光に喩えられます。日光がなければ、私たちは生きていくことはできません。ですから、日光は私たちの命の源ということもできると思います。その光は、人種や国籍、老若男女、善人悪人の区別なく平等に私たちを照らしだしてくれます。塵や芥でさえその光に照らされて輝きます。そこにはどんな差別もありません。それと同じように、阿弥陀仏の智慧と慈悲の光に照らしだされると、私たちの命はその光を映して阿弥陀仏と同じように輝きます。その輝く命が互いに敬い慈しみあい、浄土という世界は成り立ちます。それが先ほど紹介した第三願です。これは阿弥陀仏の第三の願いであるとともに、平和平等の社会の実現を目指す仏教の理想も表現しているように感じられます。ですから、仏と生まれていく私たちは、浄土真宗の生活信条の第四条にもあるように、「み仏の恵みをよろこび、互いに敬い助け合い社会のためにつくします」ということを日々の教えの実践としているわけです。

このように、仏の智慧の光に照らされて、私たち自身の苦しみの本に気付かされ、仏の慈悲の光によってそこから解放されていくということは、私たちの本当の喜びであり、大変に有難いことだと思います。

南無阿弥陀仏

October 2015

あるがままの救い

開教使 渡辺正憲

今年も残すところ3か月となりました。オックスナードで過ごす1日1日が私にとってはかけがえのない素晴らしいものです。そう思えるのは、この土地の気候が穏やかいうこともありますが、お寺の皆さんの温かい親切が大きいと思います。そして何より、どんな場所にいても親鸞聖人の教えと共にある喜びがあるからです。

よしあしの文字(もんじ)を知らぬ人はみな

まことのこころなりけるを

善悪の字しりがほは

おほそらごとのかたちなり

この和讃は、親鸞聖人の最晩年の88歳の時に書かれたものです。

学がなくて文字の読み書きもできないような人の方が、素直に物事の本質をあるがままに受け入れることができるのに、自分に物事の善し悪しを分別できると思う人間は、自分のさかしらな心に縛られてかえって真実からかけ離れてしまう。ロシアの作家であるトルストイが「イワンのばか」という童話を書いていますが、これなどはその分かりやすい例かも知れません。主人公のイワンは、馬鹿であるがゆえに悪魔の誘惑に乗ることなく幸せに暮らすことができましたが、自分のかしこさを鼻にかけていた兄たちは悪魔の巧みな言葉に踊らされて破滅していきます。親鸞聖人の和讃は、本当のかしこさ、智慧とは何なのかということを簡潔に教えて下さっていると思います。

ところで、私たちの浄土真宗には3つの大きな特徴があります。「他力本願」「往生浄土」「悪人正機」です。この中で「悪人正機」ということが難解だとよく耳にします。“悪人正機”というのは、悪人こそ阿弥陀仏の救済の目当てであるということです。一般的に悪人というと犯罪者とか、つまり悪いことをする人という意味ですが、この場合は“凡夫(ぼんぶ)”ということだと思います。凡夫とは何でしょうか?あるいは、凡夫とは誰のことを指すのでしょうか?親鸞聖人の弟子の一人であった唯円という方が書かれたと言われている「歎異抄(たんにしょう)」という書物の中に親鸞聖人のお言葉としてとても有名な一節が出てまいります。

善人なほもつて往生をとぐ、いはんや悪人をや

(善人でさえお浄土に往生させていただくのだから、まして悪人が往生させていただけないはずがない。)

どう思われますか?逆ではないかと思われたのではないでしょうか?善いことをしようと励んだり、悪いことをしないように努めている人たちが善人、その逆が悪人だとすれば、悪人でさえ救われるのだから、善人が救われないはずがないと書かれるべきではないか?

親鸞聖人は続けていわれます。

煩悩具足のわれらは、いづれの行にても生死をはなることあるべからざるを、あはれみたまひて願をおこしたまふ本意、悪人成仏のためなれ ば、他力をたのみたてまつる悪人、もつとも往生の正因なり。

(煩悩のかたまりであるわれわれは、どのような自力の修行を積んでも迷いを離れることができないのを憐れんで阿弥陀仏の本願はおこされたのである。その御本意は善人よりも悪人を目当てに仏にならせたいとの願いである。その本願他力におまかせした悪人こそ、その大果にあずかるまさしき資格者である。)

勉強したての頃は、この親鸞聖人の言葉の意味が全く理解できませんでした。しかし、その理由が段々分かってきました。それは、自分は悪人ではないという思いです。善人である自分は救われて当然であるという思い上がりがどこかにあったからです。ところが、仏教という鏡に照らされて己を見つめると、いつも自分中心にものを考え、時にはうそをついたり、憎まれ口をたたいたり、気付かないところで平気で人を傷つけてしまう。日々生きるために食事をして、間接的に大量の殺生をしている。考えれば考えるほどいわゆる善人とは程遠い。誰もが生きることに必死である、その中で善行に励もうにもとても自分にはできそうにもない。そんな自分が救われるのだろうかという思いに変わってきました。その時に先ほどの親鸞聖人のお言葉が輝きを放ちました。“だからこそ、そんなお前を救いたいのだ。”そんな阿弥陀仏の願いが胸に沁みました。誰もが“煩悩具足の凡夫(悪人)”であるからこそ、阿弥陀仏のすべてを救うという願いが尊いのです。ですから、善人というのは自分の本当の姿に対する自覚がない人間のことで、そんなものでも救われるのだから、自分の真の姿に気づき、心から阿弥陀仏の願いの有難さ尊さに気付いたものが救われないはずがないと親鸞聖人は言われたのだと思います。

我々をありのままに救いとろうという仏さまがいてくれるということだけでこんな素晴らしいことはないと思います。今、浄土真宗の教えに出会わせていただいていることを共に喜び感謝いたしましょう。

南無阿弥陀仏

September 2015

忘れてはならないこと

開教使 渡辺正憲

早いもので、秋のお彼岸の季節がやって参りました。夏休みは皆さん楽しく過ごされましたでしょうか?オックスナードの夏は、一般的な日本の夏と違って、暑すぎず、湿気もあまり感じないのでとても過ごしやすいのがいいですね。今年は6月から8月の初旬にかけていろいろな行事が目白押しで、毎日があっという間に過ぎていった気がします。南部教区大会はメンバーが一丸となって無事開催できましたし、お盆も大成功だったと思います。このことはオックスナード仏教会の開教使として非常に誇らしいことです。こちらに赴任して2年近くになりますが、メンバーの皆さまのサポートには本当に感謝しかありません。

さて、7月と8月初めにかけて、いくつかの南部教区のお寺を訪問してお盆祭りに参加させてもらいました。どのお寺のお盆も賑やかで、参加されている方たちは、お祭りを満喫している様子でした。特に盆踊りはどこもすごい熱気でした。皆さん心から踊りを楽しんでいるのが伝わってきました。一緒に踊りながら、こちらもとてもハッピーな気持ちになります。あの一体感は普段なかなか味わえないものですね。そして訪問したどのお寺でも何人もの見覚えのある顔に出会うことができます。その中にはもちろんどこかのお寺に属しているメンバーもいますが、そうでない方も多いようです。お寺のメンバーであろうとなかろうと年に一回のこのイベントを楽しみにしている人は少なくないのだと思います。それにつけて思うのは、仏教の教えを基にしたこの一大イベントを私たちまで伝えて下さったご先祖さま方のご苦労です。何事もそうですが、おかげということなくしては、私たちは毎日を安穏に暮らすことはできません。私たちの普段身に付けているものもそうですし、口にしているものもそうです。特に食べ物に関して言えば、命のないものを食べることができない以上、間接的に殺生をしているわけです。私はベジタリアンだという方も、植物も生き物であるということは忘れてはいけないでしょう。他者の恩恵なくして私たちの命がここに存在できないわけです。残念なことに、日本ではご先祖さまが仏教の教えを通して伝えてくれた智慧が忘れられている傾向があるように思われます。例えば、小学校や中学校での給食の時に、先生が“いただきます”を生徒に言うように促すと、後日親から文句が来るというような話があるそうです。なぜでしょうか?その親御さんの考えでは、給食費を払っているから“いただきます(感謝のことば)”を言う必要がないというのです。あるいはこういう話があるそうです。レストランで給仕が食事を持ってきた時に、子供さんが“ありがとう”というと親御さんが“お金を払うんだからそんなこと言わなくていいの!”と怒るそうです。みなさんはこの話をどう思いますか?笑い話と考えますか?確かにこれは一般的な話ではなく、今は極端な例として受け取られるかもしれません。しかし、私たちが私たちの拠って立つ真実に気付くことがなければこういうような事例がますます増えてくる気がします。“いただきます”、“ありがとう”“もったいない”…どれも私たちが忘れてはならない大事な教えが込められていると思います。ご先祖さま方が伝えてくださった多くの伝統、その中でも仏教という大いなる人生の智慧を私たちに残してくださったことは、本当に尊く素晴らしいことだと思います。そのことを当たり前であると思うべきではないでしょう。この仏法という名の世の宝を、みんなで守り後の世に伝えるのは、私たちのこの限りある尊い人生の中でできる最も大事なことの一つではないかと強く感じています。

今月は9月27日の午前10時より本堂にて秋の彼岸法要があり、御講師にジョージ松林名誉開教使をお迎えします。一日一日は二度とない貴重な時間であり、毎回のお聴聞も一期一会です。どうぞこの大切なご縁に仏法の教えに耳を傾けましょう。

南無阿弥陀仏

August 2015

仏法は聴聞にきわまる

開教使 渡辺正憲

お盆が終わって少し寂しさを感じますね。一生懸命働いてくださった方々には本当に感謝いたします。おかげさまで、お祭りは成功のうちに終えることが出来ました。今年もとても楽しかったので、来年のお寺のお盆が待ち遠しいです。 夏休みには何をされますか?どこかに出かけますか?それとも、映画を見ますか?私はDVDを見たり、絵を描いたりして過ごすのが好きです。本を読むのも好きですね。ですから、今まで時間がなくて読めなかった分、読みたかった本を読むつもりです。本を読むのが好きですか?10代20代とたくさん本を読みました。特に小説を読むことに夢中になりました。とても楽しかったですね。いくつかの本は今でも私の心の糧になっています。本はふつうそんなに高いものではないですが、時として、誰かの人生に大きな影響を及ぼすことがあります。例えば、私は子供の頃、漫画家になりたかったのですが、ゴッホの手紙という本を読んだ後、非常に感動し、画家になりたいという強い気持ちを持つようになりました。ゴッホは、1890年7月29日に亡くなっていますが、彼の言葉や作品は今でも私を勇気づけてくれています。個人的に彼を知らなくても、私は友達のような親近感を覚えています。

今は浄土真宗僧侶として、親鸞聖人の言葉を一生懸命学ばせていただいています。彼の言葉はいつでも私を元気づけ、慰めてくれます。私は親鸞聖人の言葉を通して、聖人がいつでも共にいてくださることを感じることができることを本当に嬉しく思います。人生の中で良い友を見つけるのは難しいことだと思いますが、親鸞聖人は私にとって偉大な先生であると同時に、真の良友です。

お釈迦さまは、このように言われました。

たとえ百年生きたとしても、真実の教えに出会うことがなければ、それは真実の教えに出会ったものの一日にまさることはない。”

-法句経(お釈迦さまの言葉)

親鸞聖人のおかげで、お釈迦さまの素晴らしい教えに出会うことが出来ました。特に浄土三部経と呼ばれる尊い教えを今聞かせてもらえることは本当に特別なことです。お釈迦さまのお言葉は、人生の偉大な智慧と慈悲を表しています。体を維持するのに食べ物が必要なように、私たちの心を養う教えが必要であると思います。ですから、日々の生活の中で仏教の教えを聞いていくことが大事であると思います。貴重な限りある時間をどのように過ごすかをよくよく考えることは大切なことです。なぜなら、それによって私たちの人生が形づくられていくからです。

八代目のご門主である蓮如上人が、

仏法には世間のひまを闕(か)きてきくべし。世間の隙(ひま)をあけて法をきくべきようやうに思ふこと、あさましきことなり。仏法には明日といふことあるまじきよし。”

-蓮如上人御一代記聞書-

と言われました。

蓮如上人の言葉のように、仏法を日々の生活の中に聞かせていただきましょう。8月は通常の日曜礼拝はありませんが、日曜の10時にはお寺を開けます。お経と仏教についてのディスカッションをしますので、もしご興味がありましたらぜひお越しください。どなたでも歓迎いたします。良い夏休みをお迎えください。

南無阿弥陀仏

July 2015

大慈悲に抱かれて

開教使 渡辺正憲

先だってお正月をお祝いしたかと思う間に、もう2月です。2月には涅槃会(ねはんえ)の法要があります。涅槃とは覚(さと)りのことです。これは、梵語(インドのサンスクリット語)のNirvana(ニルバーナ)の音訳です。滅度(めつど)や寂滅(じゃくめつ)とも言います。すべての煩悩の火が吹き消された状態のことを指します。そして、涅槃にはもう一つ、お釈迦さまのご入滅(ご逝去)の意味もあります。お釈迦さまが亡くなったのが、2月15日と伝えられているので、お釈迦さまを偲び、2月にこの法要が勤修(ごんしゅ)されます。ですから、涅槃会はお釈迦さまのご命日法要になります。仏教徒として、この大切なご縁にぜひご参拝ください。

ところで、なぜお釈迦さまのご命日に営む仏事と一緒にペットメモリアルサービスが行われるかご存知ですか?お釈迦さまがインドのクシナガラで80年の生涯を閉じようとされた時、ありとあらゆるものがその死を悲しんだと言われています。そのことを描写した絵の中の、涅槃に入られたお釈迦さまの周りには、お弟子たちだけではなく、たくさんの動物たちが集まっています。動物たちも人間と同じようにお釈迦さまの法を喜び、お釈迦さまの死を嘆きました。ですから、お釈迦さまのご命日法要である涅槃会を通して、亡くなった動物たちも同様に偲ぶようになったのです。私自身も、子供時代から青年にいたるまで、2匹の犬を飼いました。飼っているときは、散歩が大変だったり、夜中に吠えたりと、だいぶ手を焼きましたが、やはり死んでしまった時は、家族の一員を亡くしたような淋しい感じがしました。おそらく御自身の人生の何年かを一緒に過ごしたペットたちは、みなさんにとっては家族そのものでしょう。ですから、2月15日午前10時からの涅槃会・ペットメモリアルサービスを通して、亡くなった動物たちを偲び、感謝と愛情の気持ちを示しましょう。

最後に、2月の主な行事をお知らせします。

2月7日の土曜日には、ロサンゼルス別院でセミナーがあります。本願寺の内藤知康(ちこう)和上(勧学(かんがく))が見えられます。アメリカで、和上のお話をうかがえるのは滅多にない機会です。午前9時から午後3時の予定です。私も参加いたします。ふるってご参加ください。

22日には、三郡合同礼拝(Tri-County Seminar)がオックスナードの主催であります。1時30分から受付けで、2時から法要があり、そのあと映画の上映と軽食があります。是非ご参加ください。

23日には、午後7時よりオックスナード仏教会のソーシャルホールにて禅宗寺(ぜんしゅうじ)(曹洞宗(そうとうしゅう))の小島秀明(しゅうみょう)師による勉強会があります。禅に興味がある方はぜひお越しください。

南無阿弥陀仏

January 2015

報恩講

開教使 渡辺正憲

開教使 渡辺正憲

初めに、南部教区仏教徒大会にご尽力してくださった皆様に心より感謝申し上げます。おかげさまで、成功のうちに大会を終えることができました。初めて基調講演をさせてもらいましたが、とても光栄なことであり、大変貴重な経験となりました。みなさんがこの大会を楽しみ、何かを学んでくださったことを望みます。 さて、いよいよお盆が近づいて参りました。ご承知のように、この行事は亡くなられたご先祖さまを偲び、私たちの命がここにあること、そして、尊い仏法の教えに出会えたことを感謝する大事なご縁です。この行事は、「盂蘭盆(うらぼん)経」というお経の中に出てくるお話に基づいております。盂蘭盆とはインドのことばの漢字の音訳で、もとの意味は、“逆さ吊りの苦しみ”ということです。このお話についてはもうご存知の方も多いと思いますが、お盆祭りの中の、お寺でのお盆法要でお話しするつもりなので、まだ知らない方や、興味のある方はぜひご参加ください。

毎年、お盆祭りは私の楽しみの一つです。ゲームで遊び、おいしい食べ物を食べて、そして、みんなで踊ります。この行事を通して、私はご先祖さまに思いを致し、感謝します。何故なら、この伝統を伝えて下さったのは私たちのご先祖さまだからです。子供の頃は、お盆が楽しみでした。私は、まだまだ気持ちの上では若いつもりですが、40歳を越えています。しかし、時折、お盆を通して子供の頃を懐かしく思い出します。毎日が新しい出来事の連続で、まるで冒険のようでした。その時は気付きませんでしたが、子供時代というのは、黄金のような輝きを持っていたものだったと思います。祖父母を亡くしたあと、自分がおじいちゃんおばあちゃんの深い愛情を、当たり前のこととしてあまり感謝していなかったことに気づきました。そして後に、彼らの愛情が本当にありがたくとても素晴らしいものだったことを理解しました。祖父母は、もうこの世にはいない、しかし、今はいつでも彼らが私を見守り、思い出の中でいつでも微笑んでいるのを感じます。

大無量寿経の中に、

人、世間の愛欲の中に生まれ、独り生まれて独り死に、独り来て独り去る

という一節があります。

しかし、一方で、お釈迦さまは、私たちが皆つながっていると説かれました。仏の偉大なる智慧と慈悲の光に照らされたならば、私たちが決して一人ぼっちではないということに気づかされます。みなさんの亡くなられた愛しい人たちを思い出してみてください。その方々は、思い出の中で微笑んでくれていると思います。その方々がこの世の命を終えても、私たちの胸の中で生き続けています。そう感じる限り、私たちは、決して一人ではありません。彼らはいつでも仏さまとして見守ってくれています。

仏には、色も形もない。色も形もないから、行くところも来るところもない。青空のように、あまねく行き渡っている。

(仏教伝道協会「仏教聖典」より)

私たちが亡くなられた方々を思う限り、彼らは阿弥陀という名の偉大なる智慧と慈悲と共に私たちに寄り添い、導いてくれています。日光のような、多くの恵みによって私たちが生かされているように、大いなる仏の慈悲の恩恵に浴しています。この大慈悲こそ、我々の命の光です。

親鸞聖人は、「正信偈」の中で 、

極重悪人唯称仏(極重の悪人はただ仏の名を称すべし)

我亦在彼摂取中(我またかの摂取の中にあれども)

煩悩鄣眼雖不見(煩悩に、眼をさえられて見立てまつらずといえども)

大悲無倦常照我(大悲ものうきことなくて常にわが身を照らすなり)

と説かれています。

お盆は、仏さまの智慧と慈悲を感じる素晴らしい機会です。どうぞ、お盆祭りを楽しみながら、仏さまとなったご先祖さまに感謝の気持ちを示しましょう。

南無阿弥陀仏

June 2015

Perceptions

開教使 渡辺正憲

先月は、母の日をお祝いし、今月は父の日を通して、お父さん達に感謝の気持ちを示します。私がもう少し若かった頃は、両親の愛情をあまり意識することがありませんでした。しかし、仏教を学ぶ中で、どれほど両親にお世話になっているかに気付くことが出来ました。それは、本当に有難い、つまり、滅多にない尊いことです。決して当たり前なことではありません。今は、両親に深い感謝の気持ちを持っております。

来る6月13日には、南部教区仏教者会議がMontebelloのQuiet Cannonで開催されます。今回は、オックスナード仏教会とパサデナ仏教会の共同主催です。テーマは“Perceptions”です。英語の基調講演は、オークランド仏教会のHarry Bridge師で、先生は、ミュージシャンでもあります。日本語の方は、私(ノリ)が担当いたします。私の方は、絵描きでもあります。ですから、今回の会議は、芸術的要素のある面白いものになるはずです。

ところで、私は日本人なので、英語の語感(ニュアンス)というものがよく分からないときがあります。ですから、この会議のテーマである“Perceptions”の訳を“正しくものを見ることだ(正見)”と説明してくれた人もいましたが、それが正しい訳なのかどうか私には分かりません。というのも、私は、”正しいものの見方“というものを私自身が知っているか定かではないからです。その反対の“間違った見方(邪見)”についてなら、少し知っているかもしれません。仏教の開祖であるお釈迦さまのお言葉によれば、私たちは誤った見方にとらわれているそうです。私たちはこのことを知る必要があります。“物事をありのままに見る”ということが、お釈迦さまの言われる“正見”だと思いますが、実際は“言うは易く行うは難し”です。例えば、昔ヨーロッパ人たちの多くが、天動説(地球を中心に天体が回っているという説)を信じていました。しかし、ガリレオ・ガリレイの提唱した地動説が証明されたことにより、現代を生きる人で、天動説を信じている人はほとんどいないと思います。ガリレオ在世の当時、地動説こそが我々の事実であることを理解していたのは、コペルニクスを含むごく少数の天文学者だけでした。彼らだけが、このことをありのままに見る目を持っていたということです。そして、地動説によって我々の宇宙に対する見方は劇的に変化したわけです。私の両親に対する見方もこれに似ています。今までは、自己中心な考えにとらわれて思い上がっていたわけですが、仏教の智慧の光に照らされて、多くのおかげに支えられて自分がここにいるという“真実”に気付かされました。そして、感謝の気持ちと共に自然に頭が垂れてきました。この“気付き”そして“転換”こそが、仏教の持つ魅力であり、力であると思います。今回の会議を通して、その“ものの見方の転換”の体験をしていただけたら嬉しく思います。皆さんとMontebelloでお会いできるのを楽しみにしています。

最後に、いよいよお盆が近づいてまいりました。お盆は、亡くなられた方々を偲ぶとともに、私たちのこの命に感謝し、仏法に出会えたことを喜ぶとても大切なご縁です。6月16日(火)から踊りの練習が始まります。とても楽しいですので、是非参加してください。お待ちしております!!

南無阿弥陀仏

May 2015

親鸞聖人のお誕生日と母の日

開教使 渡辺正憲

お彼岸、チキン照り焼き、そして、花祭りが無事終わり、5月は、降誕会(ごうたんえ)、母の日、そして、イチゴ祭りがあります。

降誕会は、親鸞聖人ご誕生をお祝いする法要です。親鸞聖人はご存知のように私たちの宗派、浄土真宗の宗祖です。そのご誕生は、1173年の5月21日(太陽暦)と言われています。日本の古い暦では、4月1日になります。私たち浄土真宗の聞信徒は、5月の親鸞聖人の誕生を祝って特別法要を勤修(ごんしゅ)します。オックスナード仏教会では、5月10日にその法要がありますので、ぜひお寺にお参り下さい。

5月10日と言えば、第2日曜日で、母の日でもあります。日本では、感謝の気持ちを込めて、母親に花、特にカーネーションを贈ります。この伝統はアメリカが発祥地です。南北戦争中にアン・ジャービスという女性が起こした宣言「母の仕事の日(Mother’s Work Days)」というのがありました。これは、敵味方に関わらず、負傷した兵士たちを母のように手厚く手当するために、女性を集結させたという運動でした。アンの死の2年後の1907年の5月12日、娘のアンナが、母親が日曜学校の教師をしていた教会で、母を偲ぶためにした記念日に母の好きだった白いカーネーションを贈ったというのがそもそもの起源だそうです。アンナは、「母の日」を作って国中で祝うことを友人と提案しました。これによって、1914年、アメリカ政府は、5月の第2日曜日を「母の日」と制定し、国民的記念日としました。白いカーネーションはそのシンボルになったそうです。

ところで、仏様の大慈悲は、母親の愛情として表現されることがよくあります。仏や大慈悲と言葉で言われてもピンと来ないかもしれませんが、母親の愛情と言えば、多くの人がそのぬくもりや優しさをイメージできるかもしれません。前にも書きましたが、人間は、生まれてすぐは人の世話にならなくては生きていけません。特に、母親に見守られなかったらどうなることでしょう。私は今、両親、特に母親の有難さというものをしみじみ感じるようになりました。しかし、仏教を真剣に学ぶ以前は、それが分からず、当たり前のように思っていました。それどころか、不遇な時には、頼みもしないのに何で自分を生んだのかと当たる時もありました。そんな時でも、私の愚痴を聞いてくれて、“あんたがいてくれて、私は嬉しい”と言ってくれた母親には、ただただ、感謝しかありません。 私が私のままでいいと最後まで肯定してくれるのが母親ではないでしょうか。

“あたりまえ”の反対のことば、それは、“ありがとう”です。普段なかなか、母親に対して感謝の気持ちを表現できなくても、こういう記念日を通してありがとうと言えることは本当に素晴らしいことです。

もし、もうその母親がこの世にいないとしても、今もあなたを見守ってくれていると思います。母親を思い出す時、彼女を感じることが出来るはずです。彼女はいつでもあなたと共います。仏さまというのも、どこかよそにいる超人的な存在ではなくて、私たちが心に感じるその何かだと思います。

親鸞聖人は、和讃の中でこう表現されました。

釈迦弥陀(みだ)は、慈悲の父母(ぶも)”。

両親のように、いつでもどこにいても私たちを優しく包み込んでくれる愛情。仏さまのそれは際限がなく、すべてのものに平等にふりむけられる。それを私たちは大慈悲と呼んでいるのです。

5月の母の日を通して、お母さんにありがとうを伝えましょう。そして、この命の尊さを気付かせてくれる仏教の教え、それを私たちまで届けてくれた親鸞聖人のご努力に感謝し、降誕会法要に参加して、親鸞聖人の誕生を祝い、“南無(あり)阿弥陀仏(がとう)”を口にしましょう。

南無阿弥陀仏

April 2015

花まつりと初参り

開教使 渡辺正憲

また花祭りの季節がやって参りました。日本では、年度制度により4月から学校やいろいろなことが新しく始まります。もうずいぶんと昔のことになりますが、桜の花びらが舞い散る中、学校の入学式や始業式で大きな期待と不安を感じていた頃をふと思い出します。

仏教徒にとっては、4月の行事といえば“花まつり”です。“灌仏会(かんぶつえ)”とも呼ばれますが、お釈迦さまのご誕生をお祝いするとても大切な年中行事です。歴史が伝えるところによれば、お釈迦さまは、4月8日にご誕生されたそうです。誕生年については、いろいろな考えもあるようですが、一説によると紀元前463年と言われています。インドとネパールの国境近くにあるシャカ族の国に、王である浄(じょう)飯(ぼん)王(のう)とマーヤー夫人の子供としてお生まれになりました。名前はゴータマ・シッダールタと言いました。ゴータマは、“最上の牛”、シッダールタは、“すべての願いを成就した者”という意味です。釈迦牟(しゃかむ)尼(に)や釈(しゃく)尊(そん)という名前は尊称で“シャカ族の聖者”という意味になります。

ゴータマが菩提樹の下で覚(さと)りを得たのち、このように呼ばれました。一般的には、“ブッダ(仏陀)”や“ほとけさま”として敬われている方です。伝えるところによれば、マーヤー夫人が習慣に従って里帰りをしている途中に立ち寄ったルンビニーの園で、突然産気づき太子を出産されたそうです。この話には伝説があり、ゴータマ太子は、マーヤー夫人の右脇から生まれでたと言われています。これは、インド古来の宗教である、ヒンドゥー教の「マヌの法典」の中に、梵天(ぼんてん)(インドの最高神、世界の創造主ブラフマー)の口から司祭者階級のバラモン、脇から王族であるクシャトリア、腿(もも)から市民階級であるヴァイシャ、足から奴隷階級のシュードラが生まれたと言われており、インドでは右は清らかさを、左はけがれを象徴するので、太子が正当な王族の王子として生まれたことを表しているのだと思います。そして、先月のメッセージにも触れたように、生まれてすぐに七歩歩いて“天上(てんじょう)天下(てんげ)唯我独尊(ゆいがどくそん)”と宣言したそうです。七歩というのは、苦しみの世界である六道(ろくどう)(餓鬼(がき)・畜生(ちくしょう)・修羅(しゅら)・地獄・天・人)を超えて、究極の平安である“覚(さと)り”に至るということを表現しているようです。その時、天は祝福して甘露(かんろ)の雨を降らせたと言います。その故事から、お釈迦さまのご誕生を祝う法要が“灌仏(かんぶつ)(仏に甘茶を灌(そそ)いで祝福する)会(え)”と呼ばれるようになったそうです。そして、“花まつり”とも呼ばれるのは、太子が誕生したルンビニーの花園を再現するために花(はな)御堂(みどう)を用意することと、我々一人一人の命、今生かされていること、そして、仏法に出会えたことに対する喜びと感謝の気持ちを美しい花によって表現するからでしょう。

もう一つ、何故この法要に白い象がいるのかと言えば、インドでは象は神聖な動物であり、この白い象はお釈迦さまを表していて、神の使いの白い象が胎内の入ったという夢のあとに、マーヤー夫人が懐妊したという伝説によるものです。

長々と説明が続きましたが、花まつりの由来をだいたい分かっていただけたと思います。そして、この法要には初参(はつまい)り(初(しょ)参式(さんしき))が併せて行われます。新しく誕生したお子さんお孫さんを、仏さまの子として、お釈迦さまのお誕生日法要で一緒に祝福しようというものです。もし乳幼児でまだお寺参りをしたことがないお子さんがおられる場合は、是非この機会にお寺参りされることをお勧めします。オックスナード仏教会の花まつりと初参りは4月5日の午前10時から予定されています。法要の前には、昨年同様、ハワイアンブレークファーストがソーシャルホールにてございます。どうぞこの大切なご縁にぜひともお寺に足をお運びください。

南無阿弥陀仏

March 2015

感謝の心

だんだん暖かくなってまいりました。春の足音が聞こえてきます。オックスナードは1年を通じて過ごしやすいですが、やはり寒く厳しい冬の後に来る優しい春というのは、私たちには特別な季節なのではないかと思います。オックスナードでの滞在も1年以上が経過し、こちらでの2回目の春のお彼岸を迎えることが出来ました。メンバーの皆さまのサポートには心から感謝しております。

さて、3月と言えば照り焼きチキンと春のお彼岸の季節です。オックスナードの照り焼きチキンは絶品です。タレに秘密があるのでしょうが、本当においしくて、多くの人がこぞって購入していかれるのがよく分かります。そして、お彼岸と言えば、お墓参りです。この風習は、ご先祖様に対する感謝の気持ちを示す大切なご縁です。人間は、他の動物と違って生まれてすぐに自分自身の力だけでは生きていくことが出来ません。必ず親や、周りの人たちに見守られながら少しずつ成長していきます。ですから、私たちが今こうして、日々の生活を送れるのも多くの方たちの私たちに対する優しさがあったからです。それを当たり前と思ってはここに在るこの命の尊さに気付くことが出来ません。お釈迦さまは、お生まれになった時に、七歩歩いて“天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)”と言われたとの伝説があります。天にも地にも私の命はたった一つの尊いものであると示されたのです。どこを探しても私に変わる者はいないわけです。私が私として、あなたがあなたとして今ここにいる確率は250兆分の1と言われた学者さんがおられました。分かりやすく言うと、宝くじの1等に100万回連続して当たるぐらいのことだそうです。この命がここに在ることがまさに奇跡のようなことなのです。もし、私たちの両親が出会うことがなければ、もちろん今の私たちがいないわけですし、仮に違う祖父母だったら、ここに私たちの両親も、もちろん私たちも存在しないわけです。不可思議の縁があって、あなたも私も今ここにこうしているわけです。何故ここに私がいるのか、何のために生きているのか。それはどこまでも尽きることのない疑問として私たちの目の前にあります。しかし、仏教という私たちの真実を映し出す鏡のおかげで、おぼろげながらも、少しずつ考えるヒントが与えられるわけです。そこに気づきの喜びがあります。仏教の教えを聞くことができるのも、お寺を守り、教えを広める努力をしてくれたご先祖さまのおかげです。亡くなられた方々は、今は仏さまとなって私たちを見守り、導いてくれています。春のお彼岸の法要やお墓参りを通して、この命のあることを喜び、そして、そのご縁を作ってくれたご先祖さま方に感謝の心を示しましょう。

さて、来たる3月28日、29日には、オレンジ郡仏教会からジョン・ターナー先生が御講師として見えます。先生は数学士mathematics(BS)とコンピューター学の修士computer science(MS)をお持ちという非常に理数系な方ですが、オレンジ郡のお寺では、映画や色々な題材を用いて情熱的に仏教、特に浄土真宗の教えを広められておられます。特に週2回の瞑想クラスを熱心に担当されています。今回は、お忙しいスケジュールの中、オックスナード仏教会の為に遠路来てくださいます。ぜひともこの貴重な機会にお寺にお参り下さい。

南無阿弥陀仏

February 2015

涅槃会

開教使 渡辺正憲

新年あけましておめでとうございます。昨年は大変お世話になりました。いろいろな法要や行事を通して、みんなで協力してお寺を守り、教えを伝えていく大切さを改めて学ばせていただきました。前年同様努力してまいりますので、今年もどうぞよろしくお願いいたします。 さて、1月といえば、われわれ浄土真宗の聞信徒(もんしんと)にとっては一番大切とも言える報恩講(ほうおんこう)の法要があります。親鸞聖人の祥月命日を通して、浄土真宗の教えに出会えたことを喜び、感謝することから、御正忌(ごしょうき、祥月命日のこと)報恩講とも呼ばれます。聖人の御命日は、日本の古い暦(陰暦)では、11月28日になるので、日本では多くのお寺で11月から年末にかけてこの法要が勤修(ごんしゅ)されます。本願寺では、今の暦(太陽暦)に合わせて1月16日を命日として、1月に勤修されます。こうすることによって、多くのお寺の聞信徒が自分の檀那寺(だんなでら)と本願寺の報恩講の、両方のご縁に出会えるというわけです。アメリカでも、本願寺と同じように太陽暦に合わせて1月に勤められます。「報恩講」という名は、3代目のご門主(もんしゅ)であった覚如上人(かくにょしょうにん)が、聖人33回忌にあたって著した「報恩講私記(ほうおんこうしき)」に由来します。この中で覚如上人は、親鸞聖人に対する深い謝意を表し、浄土真宗は聖人によって開かれたのであるから、念仏してその恩に報いるべきであると述べられています。

私がまだ日本にいた頃、広島の大きなお寺に3年半ほど勤めさせてもらったことがありました。そして、報恩講の時期になると、同じく勤めている他の僧侶たちと共に、1か月ほどかけて、手分けしてメンバーのお宅に伺い、お仏壇の前で正信偈のお経を読み、5分ほどの法話をさせていただいていました。本当に規模の大きなお寺だったので、1人1日大体20軒ほどのお宅に伺いました。朝の7時ぐらいから始まって、昼食をはさんで、5時ぐらいにその日のお参りが終わります。正信偈は、決して短いお経ではないので、大体10件目くらいには、声が涸れてきて、全部正座で勤めるので、正直かなり大変でした。しかし、今振り返ってみると逆に大変な経験だったからこそ、多くのことを学ばせていただいたと感じています。メンバーの方たちとの交流も私にとっては喜びでした。すでに亡くなられた方も多いですが、思い返すと今でもその方々の優しい笑顔が浮かんできます。もうその亡くなった方々には会えないのかと思うとさみしい気持ちがしますが、しかし、そんな時、浄土真宗の教えを聞かせていただいている者として、親鸞聖人のお言葉が聞こえてきます。

“この身は、いまは、としきはまりて候(そうら)へば、さだめてさきだちて往生し候はんずれば、浄土にてかならずかならずまちまいらせ候ふべし。” -親鸞聖人御消息(ごしょうそく)(26)-

親鸞聖人は、亡くなられた方々ともつながる世界があり、そしてその方々は仏様となって、いつでもどんな時でも、お日様のように私たちを暖かく照らしてくださっていると教えて下さいました。そう思うと、自然と心が温かくなり、ありがとうという気持ちと共に手が合わさります。

報恩講の法要を通して、聖人のおかげで聞きがたくして聞くことのできるこの教えを喜び、感謝と共にお念仏をさせていただきましょう。

南無阿弥陀仏

December 2014

ありがとう2014年こんにちは2015年

開教使 渡辺正憲

本当に時間はあっという間に流れます。オックスナードに来たのがつい先だってのような気がしますが、もう1年経過したのですね。その間、慣れない環境、おぼつかない言葉に苦戦しながらも、振り返れば多くの人たちに数えきれないくらい優しい手を差しのべてもらいました。本当に感謝しかありません。さて、12月と言えば、成道会、お歳暮、餅つき、クリスマス、そして、大みそかです。クリスマスや大みそかは、家族団らんで新しい年をお祝いされると思います。大みそかには、夜7時から年越しサービスがあります。ぜひお越しください。

この大みそかの法要では、皆さんもご存じのように108回鐘を叩きます。この伝統の由来は、はっきりしていないそうですが、108という数字は、私たちの煩悩を表していると言われています。この煩悩の数え方もいろいろあるそうですが、一般的には、物事を認識する元である六根、眼(視覚)、耳(聴覚)、鼻(嗅覚)、舌(味覚)、身(触覚)、意(心で感じるもの)に、好(心地よい)、悪(不快)、平(ふつう)があり、それに浄(きよらかさ)と染(けがれ)があり、それに、過去・現在・未来の三世をかけて、6×3×2×3=108となるそうです。細かいことを抜きにすれば、数多くの煩悩を私たちが持っているということだと思います。そして、私たちが口にする煩悩という言葉も、本当の所何なのかと説明するのはなかなか難しいことだと思います。辞書によれば、人間の心身の苦しみを生み出す精神の働きということになります。

子どもの頃は、親に連れられて大みそかにお寺参りをしました。楽しみは、参拝者に振る舞われる甘酒でした。今考えると子供の頃は些細なことに喜びを見出せていて、それはとても素晴らしいことなのではないかと思います。その当時はお寺自体にはそれほど興味がなかったですし、住職の話もほとんど覚えていません。しかし、お寺に人がたくさんいて、大人たちが優しくしてくれたという思い出は残りました。それが、お寺は居心地のよい場所だという印象になりました。

アップルの創始者であるスティーブ・ジョブズが、スタンフォード大学でした講演の中で、彼が大学時代に興味本位で習っていたカリグラフィーの授業が、今では当たり前になっているコンピューターのフォントを考案するきっかけになったと述べており、大学当時は、それが何の役に立つのか予想ができなかったが、後になって、それがいかに自分にとって意味があったかに気付いたと言っています。私は、このジョブズの話のように、子供の頃の大みそかなどのお寺参りによって、知らず知らずのうちに仏教に影響を受けたのかもしれません。そして、それが私を仏道に導いてくれたのだと今は思っています。法要などで耳にする仏教の教えも、それがのちのちに、あるいは今、皆さんにとって大きな意味を持つことがあるかもしれません。ですから、お寺参りをすることは大事だと私は考えています。

一年を振り返る大事な機会として、そして新しい年を迎えるための心の準備として、是非除夜会(じょやえ)(大みそか法要)と修正会(しゅうしょうえ)(お正月法要)にお寺にお参り下さい。

南無阿弥陀仏

November 2014

永代経

開教使 渡辺正憲

ハロウィーンも終わり、いよいよ今年も残り2カ月となりました。朝晩が寒くなり、冬の足音を感じます。11月の下旬に10日ほど日本に帰ります。自坊(家族の寺)がある広島で報恩講の法要が勤修されるので、住職である母を手伝う為です。自坊での報恩講はお寺での法要のあと、メンバーのお宅を訪問して各家のお仏壇に御挨拶します。アメリカと違ってすべて正座で勤め、一件につき1時間弱ぐらいかかるので、少し(?)体重の増えた今は無事勤められるか心配です。しかし、久しぶりに自坊のメンバーに会えるのは楽しみです。

オックスナードのお寺では、11月に永代経の法要があります。永代経というのは、もともとは故人の命日ごとに永代に読経することを意味して、故人を縁とした懇志をうけて特定の日に勤修される法要のことです。浄土真宗では、仏の慈悲の恵みを喜び、感謝と共に仏法を聞かせていただく大事なご縁として勤められます。今は故人となられた、お寺を守られてきた方々の御苦労を思う時、私たちがここで仏法を聴聞できるのは決して当たり前のことではありません。

まだ僧侶になりたての頃、広島の自坊の門徒総代を長らく勤められた方がしばしば私に言われたのが、“お寺の柱一本一本に門徒の思いがこもっている”というものでした。初めの頃は、少し大げさな表現だなと感じましたが、10年近く僧侶としての生活を送る中で、その言葉の意味が分かってきました。例えば、オックスナード仏教会は、記録をたどると93年の歴史がありますが、その間にたくさんの方々の献身的な支えがあったはずです。今、現職の住職として勤めていてもメンバーのサポートには本当に感謝の言葉しかありません。

広島の自坊は、歴史自体は江戸時代にまで遡れますが、山の上の小さな過疎集落であり、そこには病院も郵便局もお店もなく、バスは1日に2度だけ来るというようなありさまです。車がなければ必要なものを買いに行くこともできません。メンバーの数も40人程度で、そのほとんどが80歳に近い方ばかりです。ですから、お寺がこの集落の中心的な場所と言えるかもしれません。そして、法要の始まる前に叩かれる梵鐘が鳴れば、みなゆっくりゆっくりお寺にやって参ります。そして、貧乏寺なので御講師をお呼びせずに、ほとんどすべての法要は自前で勤めます。今はもうお年を召された門徒さん方がうなずきながら私の話に耳を傾けてくれます。そして、御文章を拝読するときに門徒さんが頭を深々と垂れて両手を合わせている姿を見ると、仏教の教えを逆にその方々に教えていただいているのだと強く感じます。

ところで、私の姉は、イタリアに15年ほど在住しています。そのうちの7年ほどをピサ近郊にあるチベット仏教の学校で過ごしました。時々日本に帰ってくることがあって、会って話すことがありました。ある時、何気ない会話の中で突然、「どうしてお寺や教会が尊い場所か分かる?」と聞いてきました。唐突な質問だったので、答えに窮していると、「それは、尊い心を持った人たちが集まる場所だから。」と言いました。自分の姉ながらなるほどと思いました。お寺の建物ももちろん尊いですが、お寺を尊いものにしているのはメンバーの清らかな願いなのです。日々の暮らしの忙しさに追われる中にも、心のよりどころとしてお寺を大切に守られてきた方々の願いがあります。その願いがお寺の歴史そのものなのです。

永代経とは、お寺を支えてこられた我々のご先祖様に対する感謝の念を示す大事なご縁です。“人身受けがたく仏教遇い難し”と三帰依文にあるように今こうして仏法に会えることは本当に素晴らしいことであります。ぜひこの法要を通してお寺を守ってこられた歴代のメンバーの働きに思いを致し、手を合わさせていただきましょう。

南無阿弥陀仏

October 2014

本願寺の始まりと婦人会

開教使 渡辺正憲

秋のお彼岸も過ぎ、段々年の瀬も近づいて参りました。10月のハロウィーンも楽しみです。思えば、このオックスナード仏教会に初めて訪問したのも、2年前の10月でした。その時はIMOPの生徒の一人として、アダムス先生をはじめ、皆さまに暖かく迎えていただきました。その時のセミナーとハロウィーンも楽しい思い出です。こうして今住職としてこちらで勤めさせていただいているのがとても不思議でもあり、大変光栄でもあります。

さて、10月と言いますと、恵信尼(えしんに)公覚信尼(かくしんに)公の特別法要があります。

恵信尼様は、ご存知のように親鸞聖人のお裏方(うらかた)(奥様)でした。覚信尼様は、親鸞聖人と恵信尼様との間の末娘に当たる方です。浄土真宗の今日の繁栄は、このお二人の御苦労なくしてはなかったかもしれません。恵信尼様は、親鸞聖人が越後(えちご)(今の新潟県)に流罪にされた時に、その地で聖人とご結婚されたと伝えられ、その後の親鸞聖人をお支えになりました。多くの偉業をなした男性の陰に、妻の内助の功があることは良く聞く話です。

そして、覚信尼様ですが、京都にある本願寺の基礎を作られたのがこの方です。親鸞聖人が関東での布教から京都に帰られるのに同行し、聖人の身の回りの世話や京都での布教を支えられました。そして、親鸞聖人が亡くなられたのちに京都の大谷に大谷本(おおたにほん)廟(びょう)(親鸞聖人のお墓)を建立(こんりゅう)されました。覚信尼様は、この廟堂を管理する役職、留守識(るすしき)を設置し、初代の留守識になられました。この大谷本廟が後の本願寺の本となり、留守識は、門主制の原型になったものです。ですから、覚信尼様は今の教団発展の礎を築かれた方と言えると思います。

日本でもアメリカでも感じることですが、お寺の法要にお参りをされている方は女性の方が多いように思います。私が日本にいた時、広島の自坊(じぼう)(家族の寺)でお話をさせていただいていましたが、お参りする人の8割は女性でした。特別法要の折は、お斎(とき)がでますが、その準備の為に、婦人会の方々が早朝からお寺に来られて甲斐甲斐しく働いておられました。子供の頃からその姿を見てきたので、だいぶお年をめされた婦人会の方々には本当にありがたいという気持ちを持っております。そして、しみじみ感じることは、お寺の維持・発展における婦人会の貢献度の大きさです。お寺の婦人会の働きなくしてはどうしてお寺が立ち行こうかと思います。私も、オックスナードに来てから、婦人会のメンバーの方々には本当に助けていただいており、感謝しかありません。

もちろん男性メンバーたちの支えも本当に重要です。しかし、10月の恵信尼公・覚信尼公の特別法要を通して、女性メンバーの方々の働きに対して、当たり前と思わずに、感謝の気持ちを感じるということが大切ではないかと感じております。

恵信尼公・覚信尼公法要は10月26日に予定しております。特別法要のあとにはハロウィーンパーティもありますので、是非お寺に足をお運びください。

南無阿弥陀仏

September 2014

秋のお彼岸

開教師 渡辺正憲

秋のお彼岸の季節がやってきました。夏休みの間は、皆さんそれぞれに有意義な時間を過ごされたことと思います。

私にとっては、このオックスナードに来てからの日々を振り返るのにとても貴重な時間になりました。開教使としてこちらに着任して以来、数限りないサポートや学びがあり、感謝の気持ちでいっぱいです。

9月のお彼岸サービスは、御講師をお迎えします。ローダイ仏教会の楠活也先生がお見えになり、浄土真宗の要のお経ともいうべき、正信偈について教えていただくことになっております。この尊いご縁に、ぜひお寺にお足をお運びください。

正信偈と言えば、私はほぼ毎朝本堂で読経をさせていただいています。正信偈とは、もともと親鸞(しんらん)聖人(しょうにん)が「教(きょう)行(ぎょう)信証(しんしょう)」という著作の中で、真実の教えとは何かということを要約された偈(げ)文(もん)(詩のような形で表現したもの)を、8代目のご門主であった蓮如(れんにょ)上人(しょうにん)がお経の形で普及させたものです。私は今でこそ自らすすんで正信偈を読みますが、幼少の頃はお寺での朝の読経(どきょう)がとてもおっくうでした。今振り返ってみると、一つ目の理由としては、長いことです。

読んでいるときは、早く終わってくれないかとばかり思っていました。二つ目の理由としては、意味が分からなかったということです。ただただ難しい漢字が並んでいるだけで、何のことやらチンプンカンプンでした。しかし、こうして年齢を重ねて、仏教について勉強させてもらえる機会をいただけたことにより、このお経が、親鸞聖人の我々に向けられた優しい願いなのだということに気付くことが出来ました。

私たちの宗教は浄土真宗です。そして、南無阿弥陀仏ひとつで善人も悪人も等しく救われていくという教えです。非常にシンプルであるとも言うことが出来ます。長く苦しい修行により覚りを得る道を“難行(なんぎょう)”というのに対し、南無阿弥陀仏、つまりお念仏と共に歩む道が“易行(いぎょう)”といわれるゆえんだと思います。しかし、親鸞聖人は南無阿弥陀仏という言葉のうちにある心を私たちは知らなくてはならないと多くの著作や偈文(げもん)の中で表されています。誰の心か?かつては法蔵菩薩(ほうぞうぼさつ)と呼ばれ、五劫(ごこう)といわれる想像もできないような長い長い間、ひたすら苦しむものの、その苦しみを除きたいと、一時(いっとき)たりとも気を抜かず修行し、ありとあらゆるものを救う智慧と慈悲の限りない力を成就した阿弥陀仏(あみだぶつ)のお心です。

勉強をし始めの頃は、自分のさかしらな思いが先に立って、そんなバカなことがあるものかと思っていました。しかし、少しずつお経、特に正信偈の意味が分かってくるにつれて、それが阿弥陀さまやお釈迦さまや親鸞聖人の呼び声として自分の胸に届いてきました。例えば、“頑張れ”というのもただの言葉ですが、そこに話し手の心がこもるから、聞いた人は元気づけられます。それと同じように、お経にも阿弥陀仏を筆頭として、数限りない仏、菩薩、お釈迦さま、親鸞聖人等の私たちに向けられた優しく力強い願いが込められています。お経を通して、“大丈夫、私たちはいつでもあなたと共にいますよ”という呼び声を聞かせていただけるのです。だからこそ、読経(どきょう)の意味があるのです。先の8代目蓮如上人が“ただ仏法は聴聞(ちょうもん)にきはまることなり”と言われましたが、まさにお経を読むことを通して私たちは仏さま方の声を聞くことが出来るのです。そして、いつでもどこでもその声を届けようとされたのが、阿弥陀仏です。どうやって?それが私たちの口にする南無阿弥陀仏です。私たちがいつでもどこにいても阿弥陀仏やあらゆる仏さま方と共にいることを、お念仏を通して気づかせていただけるのです。

ですから、お寺に来て、お経を読み、お念仏することはとても大切なことです。今月のお彼岸セミナーを通して宗祖親鸞聖人のお心、その願いを聞き、深く味あわせていただきましょう。

南無阿弥陀仏

August 2014

ありがとう

開教使 渡辺正憲

皆さまの多大なるご協力のおかげで、無事2014年のお盆のお祭りを執り行うことができました。心より感謝いたします。私にとっては、オックスナードでの初めてのお盆でしたので、不安もありましたが、メンバーのサポートと多くの方の参加もあり、心から楽しむことができました。本当にありがとうございました。

7月のニュースレターでお盆のいわれについて書きましたが、この行事の大事な点は、先祖に対する感謝の気持ちを示すということです。先祖がなければ、我々は存在できません。そして、両親や、祖父母、過去からの多くの愛情や支えがあって、今の自分があるのだということを忘れてはいけないと思います。

ところで、日本語では、感謝を示すときに“ありがとう”と言います。“ありがとう”とは、"有難い"という言葉からきています。つまり、“滅多めったにない”という意味です。人が自分の為に何かをしてくれる。それは決して当たり前のことではなくて、本当に尊いことであり、有難いことです。それで、日本人は、お礼の言葉として“ありがとう”と言うようになったそうです。

しかし、現代を生きる私たちは、どれだけ“ありがとう”という気持ちを日々の暮らしの中で感じているでしょうか。私が日本にいた時には、何かしてもらってもありがとうと言わない人を多く見かけました。人は一人では決して生きられません。自分の身の回りの物を見渡しても、自分が作ったものでなく、誰かの手によったもので囲まれていることに気付くと思います。そして、生活の中でも家族や友達、数限りない人たちの優しさに包まれています。日々、我々を照らしてくれている太陽、毎日吸っている空気、目に鮮やかな緑、喉を潤してくれる水。これらのものが無かったら、私たちは生きていくことが出来ません。しかし、有難いことに、これらの恩恵おんけいをこうむって、私たちはいまこの命を生きているのです。ですから、仏教、特に浄土真宗では、“生かされている”と表現します。この私の命そのものが滅多にない有難いことなのです。そのことに気付くことが、日々の暮らしを健やかに過ごしていくための大事な要素になってくると思います。

もし感謝の気持ちを感じたいと思ったら、“引き算”をしてみればいいのです。今、自分の身の回りにあるもの、そして、体の色々な部分がもしなかったらと考えてみてください。それを恵まれていることがいかにありがたいかに気付くと思います。それを当たり前だと思ってもっともっとと、必要以上に欲しがるのが人間の苦しみの一つの原因ではないでしょうか。

お釈迦さまが“少欲知足(しょうよくちそく)”と言われました。欲を少なくして、満足を知るということです。お釈迦さまは、人間の欲望は果てがなくて、欲望に身をまかすとき、それはあたかも炎のように自らを焼き焦がし、苦しめると言われました。しかし、自分が生きていくに必要最低限なもので満足できれば、欲望の炎を抑えることが出来、安らかな心を持つことが出来るということです。しかし、いろいろな方と話す中で、欲望を人生で成功するための大事な原動力と考えておられる方が結構多いことを知りました。しかし先ほど申しましたように、人は、自分一人で生きているわけではありません。互いに支えあって初めて生きてゆけるのです。必要以上の自己中心的な欲望は、必ず周りを巻き込み、結局、自分も他人も苦しめることになります。それを戒めるために、お釈迦さまは先の言葉を教えて下さったのだと思います。

感謝の心を知るというのは本当に大切なことです。お釈迦さまは、感謝と共に生きることが、人生の智慧であると示されました。そして、先祖の方々は、そのことを毎年のお盆を通して私たちに教えて下さっているのだと思います。

南無阿弥陀仏

July 2014

お盆の季節、到来!!

開教使 渡辺正憲

ついに待ちに待ったお盆の季節がやってまいりました!盆踊りは夏の風物詩であり、多くの方が楽しみにしているのではないかと思います。私も、オックスナードでのお盆は初めてですので、とても楽しみにしております。今回は、新しい企画もあります。ご期待ください。

先日、オックスナードのロータリークラブからの招待で、お盆の起源についてのお話をクラブメンバーの方々にご紹介いたしました。今月は、その時のお話を皆様にもご紹介したいと思います。

お盆の由来は、盂蘭盆経(うらぼんきょう)という仏典の中にあるお話です。「盂蘭盆」を略して、「お盆」と言っているのです。「盂蘭盆」とは「ウランバナ」という古代インドの言葉の音写で、逆さ吊りの苦しみという意味を表します。

お釈迦さまには、十大弟子と言われるような優秀なお弟子たちがおられました。そのうちの一人に「マウドガルヤーヤナ」という人がいました。我々には「目連尊者(もくれんそんじゃ)」と言った方が通じやすいかもしれません。この方は、神通第一と言われるように神通力に長けた方でした。ある日、目連が神通力で亡き母の様子を見てみると、母親が餓鬼道に落ちて苦しんでいました。彼女が、何か食べようとするとすぐ炎となって食べられないのです。

目連が、母の逆さ吊りのような苦しみを知った時、母を助けたい一心で、お釈迦さまに相談しました。するとお釈迦さまは、僧たちの雨期の修行が明けた、7月15日に、僧たちに食べ物などを布施して、母親の苦しみからの解放を祈りなさいと教えました。

目連は、お釈迦様の言われた通りにし、僧たちは大喜びでそれを受け取り、飲んだり食べたり踊ったりしました。僧たちの喜びは餓鬼道にも伝わり、母もその布施の一端を口にすることができたということです。

この故事にのっとり、雨期の修行(安居)の最後の日である、旧暦の7月15日を盂蘭盆会と呼んで、父母や祖霊を供養する行事となりました。

これが一般的に考えられている「お盆」の由来ですが、私は、僧侶になったばかりの時に、勤めていたお寺で、住職から聞いた話は少し違いました。これは典拠が分からないのですが、私にはそちらの方が素直に受け取れることができたので、一応一つの話としてご紹介いたします。

先ほどの目連尊者は、お父さんをはやくに亡くし、母子家庭で育ったそうです。どんな国や環境でも、母の手一つで子どもを育てるのは容易なことではないと思います。ですから、目連尊者を育てるために、お母さんはあらゆること、時には人に後ろ指をさされるようなこともしました。そして、母親が亡くなった後、目連尊者は、優秀なお釈迦さまのお弟子となるわけですが、時として、母親のしてきたことの為に、目連尊者も陰口をたたかれることがありました。それが、優秀な目連尊者には、逆さ吊りにも等しい苦しみでした。そして、お釈迦さまにそのことを嘆きます。「なぜ私が母の為にこんなにも苦しまなくてはいけないのか」と。しかし、お釈迦さまは、目連尊者を諭します。「母は、お前以上に、お前を育てるために苦しんだにちがいない。それは、何のためだ。ひとえにお前に対する愛情のゆえだろう。お前に一人前に育ってもらいたいという願いのゆえであろう。」それを聞いて、目連尊者は初めて自分の愚かさと、母の愛情の深さを知り、心の迷いから解放され、母の為にも立派な修行者になろうと誓いました。目連尊者はその喜びの為、踊りを始めました。その様子を見ていた他の者たちも踊りに加わりました。これが盆踊りの始まりだそうです。

いずれの話にしても、「お盆」というのは、亡くなられた方々の恩を知り、感謝の気持ちを示す大事な行事です。是非、お盆の法要、盆踊りにお参り下さい。

南無阿弥陀仏

June 2014

安居(あんご)

開教師 渡辺正憲

昨年の12月にオックスナード仏教会に着任してから、あっという間に半年が経過してしまいました。相変わらず、お寺のこと、メンバーのこと、そして英語についての勉強の毎日ですが、仏教の教えを多くの方と共有できるのは私の喜びです。

6月頃と言えば、日本では梅雨と呼ばれています。春の心地よい気候から、長雨がつづくムシムシした季節に変わってくるのがこの頃です。食べ物もすぐ悪くなったりして、個人的にはあまり良い印象がありませんでした。しかし、ある時、門徒さんとの何気ない会話の中で、「雨は嫌ですね」と私がいった時に、「でも、農家にとっては有難いだろうね」と言われて、はっとした記憶があります。大事なことを教えていただいたと感じました。真夏になる前にこの季節があるおかげで、作物にも十分に水分が行きわたり、我々の喉を潤してくれる水が貯えられるのだと思います。エゴ、つまり、自分の都合だけで考えると不快な梅雨が、大きな視野で見ると、我々にとっては実は恵みの雨なのだと気付かせてもらえるわけです。

仏教の発祥地であるインドもこの時期は雨の多い季節だそうです。雨によって草木が生い茂り、動物や昆虫の活動が活発化するため、釈尊在世時、修行僧は一か所に定住し、修行に集中して、遊行(ゆぎょう)、つまり外での修行によって、生物を踏み殺してしまう等、無用な殺生を避けたそうです。これを梵語(ぼんご)では、雨期を意味するvarsaと言い、漢語に訳されて、安居(あんご)、特に夏に行うことから、夏安居(げあんご)または、雨安居(うあんご)とも呼ばれるようになったそうです。この習慣が、中国や日本にも伝わり、定着しました。ですから、この時期は僧侶に限らず、仏教徒にとっては、お釈迦さまの教えを熱心に耳を傾ける大事な季節であると言えるのではないかと思います。

ところで、私が好きな日本の僧侶、というか俳人に、種田山頭火(たねださんとうか)という人がいます。彼が作った俳句はどれもしみじみとした情趣がありますが、その中に、

山があれば山を観る

雨の日は雨を聴く

春夏秋冬

あしたもよろし

ゆうべもよろし

というのがあります。これは、俳句というより、歌とか詩と言えるものかもしれませんがとても素晴らしいものだと思います。それぞれの物事には、それぞれの良さがある。

それをあるがままに愛(め)でればよい。そういうことを教えてくれているように思います。しかし、我々の自己中心の思いが、それを好悪(こうお)善悪(ぜんあく)の尺度で考えてしまう。それが私たちの心に暗い気持ちを生み出し、争いや、悩みをもたらすと思います。仏教の教えとはまさに、我々の心を暗くするそのエゴに差し込む光であり、その光はあたかも日光のようにすべてのものを平等に照らし出して、心の闇、つまり悩みや苦しみを払ってくれるものであると思います。私たちは太陽がなければ生きられないように、仏の智慧の光は、我々の心と命の拠り所であると思います。

浄土真宗の生活信条にあるように、み仏の光をあおぎ、常にわが身をかえりみて感謝のうちにはげみ、み仏の恵みを喜び、互いにうやまい助けあい社会のために尽くしたいものです。仏教の御教えと共に、毎日を元気に過ごしてまいりましょう。

南無阿弥陀仏

May 2014

親鸞聖人の御誕生

オックスナー

ド仏教会 開教使 渡辺正憲

先月は、お釈迦さまの御誕生について書きましたが、今月5月は親鸞聖人の御誕生について書かせていただきます。

親鸞聖人は、1173年5月21日にお生まれになりました。親鸞聖人の誕生された時代は、激動の時代でした。平氏と源氏の政権争奪にともなうかずかずの戦(いくさ)、そして、地震、大風、大火などの災害、さらに飢饉や疫病のために、京都の町に死者が溢れたと伝えられています。そのあり様を目の当たりにしていた人々は、世の無常を痛切に感じていたのではないかと想像できます。親鸞聖人が生きておられた鎌倉時代には、多くの仏教の宗派が誕生しました。アメリカでも人気のある座禅仏教もこの頃から盛んになってきました。それまで、仏教は身分の高いものだけが学ぶことができるものでしたが、民間に仏教を信仰する機運が兆したのは、仏教を通して、人々が生きる意味を見出そうとしていたからだと思います。

親鸞聖人は9歳の時に、天台宗の僧侶として出家しました。その時に読まれた歌は有名です。

明日ありと思う心のあだ桜、夜半に嵐の吹かぬものかは

この歌は、「今は満開の桜も、夜中に突然の嵐が吹けば、すべて散ってしまうかもしれない。それと同じように、若さの盛りの私の命も明日どうなるか分からない。だからこそ、真実の教えに今まさに帰依(きえ)するのだ」、という覚悟の表れだと思います。

そして、20年間比叡山で厳しい修行を積みます。しかし、求めていたものを得られずにいた時、40歳年長で、すでに比叡山を下りて、在野で浄土の教えを説いていた法然聖人の噂を聞きました。そして意を決して、法然聖人を100日間訪ね、教えを請うたのち、これこそまさに自分が探し求めていた教えだと喜び、法然聖人と同じく比叡山を下りられて、法然聖人のお弟子となられました。

法然聖人は、比叡山にいた頃、「智慧の法然坊」と言われるほどかしこい人でありましたが、民衆に説いていた教えは、「南無阿弥陀仏」を唱えよということと、「愚者になって往生する」というものでした。法然聖人は、自分の力によって覚りに至ろうと努力されたのちに、人知を超えた仏智によって救われる道を見出されたのです。

そして、親鸞聖人は、法然聖人の教えを仰ぎ、いろいろな困難や紆余曲折(うよきょくせつ)を経ながらも、南無阿弥陀仏と共にあることを喜びながら、その後の生涯を送られました。

親鸞聖人はその喜びを、

十方微塵(みじん)世界の

念仏の衆生(しゅじょう)をみそなわし

摂取(せっしゅ)してすてざれば

阿弥陀となずけたてまつる

と表現されました。

南無阿弥陀仏と唱える、ありとあらゆる命は、阿弥陀仏の慈悲に抱かれて、間違いなく救われていく道がある、有難いことだ、ということを詠(うた)われたのだと思います。

2500年前の、お釈迦さまの教えである仏教、そして、800年の時を超えて、親鸞聖人が喜ばれた南無阿弥陀仏によって救われていく浄土の教えを今聞かせていただけるというのは素晴らしいことだと思います。今月は、親鸞聖人の誕生を祝う降誕会(ごうたんえ)のサービスがあります。ぜひ、お寺にお足をお運びください。

南無阿弥陀仏

April 2014

オックスナードでの初めての花祭り

開教使 渡辺正憲

4月と言えば、日本では入学の季節です。そして、思い出されるものとしては、満開の桜、そして花吹雪。子供の頃は、年始とは別に、新しく何かが始まる期待に胸を躍らせていたことを記憶しています。そして、今、仏教徒として4月のイメージはと言われば、やはり花祭りがあげられると思います。 お釈迦さまの誕生をお祝いする花祭りですが、日本では一般的に、その誕生日が4月8日と言われております。花祭りは、“灌仏会(かんぶつえ)”とも呼ばれます。灌仏の灌とは、注ぐという意味です。花祭りでは、お釈迦さまの子供の頃の姿をかたどった仏像に、甘茶を注いで、お釈迦さまの誕生をお祝します。これは、お釈迦さま誕生の時に甘露(かんろ)の雨が降ったという伝説によるものです。これは、大自然を含めて、あらゆる存在が、お釈迦さまがお生まれになったことを喜ばれたということを表していると言われています。

そして、お釈迦さま誕生の伝説と言えば、もう一つ有名な話があります。お釈迦さまの母上であったマーヤー夫人が、出産の為に里帰りの途中、ルンビニーの花園に立ち寄った時、急に産気づいてお釈迦さまを出産されたと伝えられています。その時、お釈迦さまは誕生するとすぐに七歩あるいて、右手で天を指し、左手で地を指さし、「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」と宣言されたと伝えられています。普通に考えて、赤ん坊が七歩あるいたとは想像できませんが、伝説の持つ意味というのがあると思います。ここでいう七歩とは、迷いの世界であるところの六道(ろくどう・りくどう)を超えたということです。六道とは、地獄・餓鬼(がき)・畜生・修羅(しゅら)・人間・天上です。それぞれの世界では、苦しみから離れることがないと言われています。お釈迦さまが七歩あるいたというのは、後にさとりを開き、仏陀になって、私たちを苦しみから救い出すということを表現されているのだと思います。

そして、よく誤解される「天上天下唯我独尊」ですが、天にも地にも我独り尊いといっても、これは決して、お釈迦さまだけがこの世で最も偉大な存在であるということを誇示しようとした言葉ではないと思います。私は、お釈迦さまが“天にも地にもただひとつの私のこの命を尊いと思うように、ありとあらゆる命は唯一無二のものとして尊いのだ”、ということをお示しなっているのだと

思います。確かに、この世のどこを探しても自分にかわるものはいません。この命は、本当に不可思議のご縁によってこの世に恵まれた、二つとない奇跡のような宝なのです。そして、この限りある尊い命をとおして、私たちは仏智(ぶっち)という何物にも揺らぐことのない智慧の光に出会わせてもらえるのです。

4月のお釈迦さまのご誕生のお祝いを通して、私の命に感謝し、真実の法に出会わせていただけるご縁を喜ばせていただきましょう。

南無阿弥陀仏

April 2014

「仏法は心の栄養」

オックスナード仏教会 開教使 渡辺正憲

開教使としてオックスナードのお寺にお世話になるようになってはや5か月がたちました。ここまで毎日いろいろ苦労もありましたが、少しずつ環境にもなじんできて、御門徒の皆様にも親切にしていただき、たいへん有難い思いであります。

私は、33歳の時に浄土真宗の僧侶になり、広島でいくつかのお寺で勤めさせていただきながら、生活を通して真宗を学ばせていただいたと感じております。その時に、特に印象に残った二つの出来事をお話ししたいと思います。

一つ目は、私がまだ僧侶になりたての頃の話です。広島の、母方の実家であるお寺で、初めて報恩講の講師をつとめたのですが、不慣れなこともあって、とても緊張し、正直自分で何を話しているのかも分からないくらいでした。終わった後、失意のまま車に乗りこんで自分のアパートに帰ろうとしていた時に、報恩講に聴聞に来られていた60代の女性の方が、向こうの方から車に近づいて来ました。私は、きっと文句を言いに来たものだと思って身構えていましたが、その方が近づくにつれて泣いておられるのが分かりました。その方は、“今日は、良い話を聞かせてもらってありがとう”。と言いました。そう言ってもらった時、私は何とも言えない複雑な気持ちになりました。きっと、慰めをいってくれたのだろうと思いました。しかし、泣いていたのは一体どういうわけか?そんなに心打たれるような話をしただろうか?それから、1年と経たないうちにその方はご自宅で突然亡くなられました。私は、それを聞いたとき、その方の涙ながらの感謝の言葉の意味を考えていました。

もう一つは、呉のお寺で勤めていた時のことです。こちらも報恩講の折、ある御門徒さんのお宅を訪問した時の話です。仮にNさんとお呼びします。その方は、お寺の朝のお勤めに毎回参加されていたので、親しくさせていただいておりました。ご自宅での報恩講のお勤めということで、正信偈の読経と法話をさせていただきました。“仏様の話を聞くと心が晴れやかになる“と大変喜んでいただき、私もお役に立てたことがとても嬉しかったです。そして、正月を迎えて、新年の法要に、ふだん朝のお勤めにお寺にお参りされる方々が来られていました。しかし、いつも必ずお経が始まる前に来られていたNさんがその時は遅刻をしてきました。珍しいことだと思っていたら、元旦の翌日お寺に電話があり、枕経に来てほしいということで、誰だろうと思い名前をきくと、Nさんだというのです。そんなはずはないNさんは昨日元気にお寺に来られたではないか、ご家族の誰かが亡くなったのかもしれないと混乱しながらも、とにかくNさんのお宅に伺いました。仏間にご遺体が布団に寝かされていました。顔には白布が被せてあったので、誰なのか確認できませんでしたが、とにかくご遺族が集まられていたので、お仏壇の前で読経を始めました。読経の途中で、女性が入って来て、ご遺体の白布を取りのけるなり“お姉ちゃん、どうして死んだの!”と泣き崩れました。ちらっとご遺体のお顔を見ると、間違いなくNさんでした。自分の中で何かがぐらっと揺れました。そして、報恩講の時に優しい言葉をかけてもらったことを思い出し、読経しながら涙が流れてきました。誰もが命に限りがあると仏教から学び、人にも説いていたはずなのに、いざ親しい人の死に接するとやはり動揺するものなのだと痛感しました。

浄土真宗の葬式では、白骨の御文章を読みます。その中に「朝には紅顔ありて、夕べには白骨となれる身なり」とあります。紅顔(こうがん)とは、血色のいいつやつやした顔のことで、若くて元気なことを表します。ですから、朝に行ってきますと出て行った人が、夕方には亡くなられて帰ってくるというようなことです。八代目のご門主である蓮如上人が書かれたお手紙の一節です。私自身、その事実をどこかよそ事のように聞いてしまいがちでしたが、命あるものとして生まれた以上、まさに無常の世を生きる私のこととして聞かねばならなかったと、この二つの出来事から教えていただいたと思っています。

そして、もう一つ自分にとって大切だと思ったのが、お話ししたお二人に共通することが、亡くなる前に仏法を心から喜んで聞いていらっしゃったということです。

明日をも知れない無常の世にありながら、仏様と共に歩むことが本当に嬉しい、ありがたいという風でした。私は、僧侶として仏教を勉強させていただいていますが、やはり大切なことは、ただの知識や教養として仏教の教えを理解しようとするのではなく、日々の暮らしの中に教えを聞かせていただき、大事なことを心で感じとっていくことだと思います。お釈迦さまも「義に依(よ)りて語に依らざるべし、智に依りて識に依らざるべし」と言われたと親鸞聖人の『教行信証』の中に記述があります。教えの本質を感じ取ることが大事で、言葉の一つ一つの表現にこだわるべきではない、仏智を仰ぎ、自分の考えを分別の絶対のよりどころとするべきではないということだと思います。

だからこそ、お寺に参って聴聞をするということの意味があるのだと思います。例えば、人は食事をしなければ死んでしまいます。しかし、三日前、四日前に食べたものをはっきり覚えている人はまれだと思います。しかし、口にしたものが栄養となりその人を今日も生かしているのは紛れもない事実です。それと同じように、心にも生きるための栄養が必要だと考えています。それは、宗教であったり、哲学であったり、生きる意味を問いかけていく道であると思います。日本では、いまだに毎年3万人以上の自殺者があると聞きます。日々の忙しい暮らしの中で、へとへとに疲れ果て、自分の生きる意味を見失ってしまうのかもしれません。私も、20代の頃、仕事がうまくいかない上に上司に注意され、非常に悩んで死んでしまいたいと思うことがありました。しかし、もしあの時、仏教の教えを知り、自分の命の尊さに対する問いかけをすることができていたとしたら、また違った考え方ができたかもしれないと思います。

時々、「忙しくてお寺に行っているひまがない、それどころか念仏する余裕すらない」と言われる方がおられます。忙しいという字は、心が死ぬ(亡)と書きます。どんなに物質的に恵まれていても、心の栄養が欠乏していたら、それは人間らしい生活と言えるでしょうか。そして我々にとって本当に何が大切なのかという問いかけを忘れてはいけないと思います。忘れるという字も、心が死ぬと書きます。自分の命が尽きるとき、何もかもが自分とかかわりがなくなる時、最後に大切になってくるのが心の在り方だと思います。心の栄養である仏様の智慧を聞かせていただけるというのは、人生の喜びだと私は考えております。そのことを、お話ししたお二人の方々が、命を通して私に教えて下さったのだと思っています。

南無阿弥陀仏

March 2014

オックスナード仏教会へようこそ

開教使 渡辺正憲

浄土真宗本願寺派オックスナード仏教会のウェブサイトをご覧くださりありがとうございます。2013年12月より同仏教会の住職を務めております渡辺正憲(まさのり)です。お寺のメンバーからはRev. ノリと呼ばれております。よろしくお願いいたします。このお寺の建物は、もともとキリスト教会であった為、外見からはなかなか仏教のお寺だと理解していただけません(笑)。しかし、仏教会自体は80年以上の歴史を持っており、日本人、日系人を中心に熱心にお参りをされる方が多いです。ほぼ毎週日曜日の9時から日本語によるサービス、10時からは英語によるサービスがあります。どなたでもご自由に参加していただけます。

それぞれの月毎に、お彼岸や、お盆のような特別サービスもあります。様々なイベントもあり、3月の照り焼きチキンの販売や、5月のイチゴフェスティバル、特に7月の盆踊りには多くの方が来られ、踊りを楽しんでいます。

お寺とは別な色々な活動(お稽古ごと)も活発に行われています。ソーシャルホールにて、毎週火曜日には柔道教室、水曜日は太鼓グループの練習、金曜日には邦楽のクラス、土曜日には日本語学校があります。興味のある方は、ご連絡の上、どうぞお気軽に参加していただきたいと思います。

仏教に興味のある方の勉強会もございます。毎週月曜日の午後7時から英語によるクラス、そして毎月第1水曜の午前10時半からは、日本語によるクラスがあり、仏教の基礎及び、浄土真宗について生徒さんと一緒に勉強しています。このクラスはどなたでも参加いただけます。お気軽に御参加ください。

このように仏教の教えをよりどころとして、お寺において様々な活動が行われております。私たちの先生である親鸞(しんらん)聖人が言われた“世の中安穏(あんのん)なれ、仏法ひろまれ”の心でメンバーと共に和気あいあいとやっております。新しい方のお参り、行事等の参加は大歓迎です。皆様のお来しをお待ちしております。

南無阿弥陀仏

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